ホンジュラス代表
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「カルロス・パボン」の記事における「ホンジュラス代表」の解説
1993年7月17日のアメリカ戦において代表デビュー。その後は15年以上アマド・ゲバラと共に代表を支え続け、1982 FIFAワールドカップ以来となる同国のワールドカップ出場を夢見ていた。代表では常にストライカーの役割を担い、試合によっては主将を任せられることもあった。 2007 CONCACAFゴールドカップではキューバ代表との試合で一人で4得点をあげた(試合は5-0でホンジュラスの勝利)。この大会では得点王になるなど、北中米・カリブ地区屈指のストライカーとされる。 またメキシコ代表との相性が非常に良く、2002 FIFAワールドカップ最終予選ではメキシコ相手にハットトリックを達成した(3-1でホンジュラスの勝利)。 2008年北京五輪に出場した代表チームに、オーバーエイジ枠として参加した。 2010年には自身の最終予選での大活躍もあり、念願のFIFAワールドカップ出場を果たした(後述)。予選での活躍が評価され、36歳にして2009年度ホンジュラス最優秀選手賞を受賞した。(受賞は2度目,1度目は2000年度) 2010 FIFAワールドカップ終了後、代表引退を表明。長い間追い求めたワールドカップ出場という夢を叶え、17年にわたる長き代表のキャリアに幕を下ろした。 代表通算102試合出場57得点を記録、歴代ホンジュラス代表最多得点記録保持者である。
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ホンジュラス代表
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「レイナルド・ルエダ」の記事における「ホンジュラス代表」の解説
2007年1月、ホンジュラス代表監督に就任。北中米カリブ海予選を突破し2010 FIFAワールドカップ出場権を獲得、28年振りの本大会出場へと導いた手腕を評価されたが、本大会ではグループリーグ敗退に終わり、戦術に対する批判を受けた。2010年7月28日、ホンジュラス代表監督を辞任した。
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