ホンジュラスの鉱業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:31 UTC 版)
「ホンジュラスの歴史」の記事における「ホンジュラスの鉱業」の解説
鉱業の最初の中心地はグアテマラとの国境近く、グラシアスの周辺だった。1538年には大量の金を産出したが、1540年代初期には中心地が東のグアヤペ川(英語版)流域に移り、金のほかには銀も産出するようになった。これによりグラシアスは急速に衰退、代わりにコマヤグアがホンジュラス植民地の中心地になった。鉱業が労働者を大量に要したため、先住民のさらなる反乱につながり、先住民人口が急激に減少するようになった。結果的にはアフリカ奴隷(英語版)がホンジュラスに導入され、1545年には2千人ほどに膨れ上がった。ほかにはサン・ペドロ・スーラやトルヒーリョ(英語版)港の近くにも金鉱が発見された。 鉱業は1560年に衰退をはじめ、ホンジュラスの重要性もそれに従い低減した。1569年初に新しい銀鉱が発見されたため経済が短期間回復、テグシガルパが建設されてコマヤグアの重要性を脅かすほどになった。しかし、銀鉱業の発展が1584年に頂点に達した後は経済衰退が再び訪れた。ホンジュラスにおける鉱業は資金も労働力も不足した上に地形の問題もあったため発展が阻害され、銀の産出に必要な水銀も希少だった。
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