ホワイト・ゾンビ (バンド)
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ホワイト・ゾンビ(White Zombie)は、アメリカ合衆国のヘヴィメタルバンド。1985年にニューヨークにて結成され、1998年の解散までに4枚のスタジオ・アルバムを発表した。バンド名の由来は、1932年に公開されたベラ・ルゴシ主演のゾンビ・ホラー映画『恐怖城(White Zombie)』から。1994年にパンテラのオープニング・アクトとして、来日公演を行っている。フロントマンのロブ・ゾンビは、ソロミュージシャンだけでなく、映画監督やマルチタレントなどをこなしている。
- ^ a b c d “White Zombie|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2015年6月21日閲覧。
- ^ a b White Zombie reviews, music, news - sputnikmusic・2015年6月21日閲覧。
- 1 ホワイト・ゾンビ (バンド)とは
- 2 ホワイト・ゾンビ (バンド)の概要
- 3 外部リンク
ホワイト・ゾンビ(1985年 - 1998年)
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「ロブ・ゾンビ」の記事における「ホワイト・ゾンビ(1985年 - 1998年)」の解説
1985年、ニューヨークに移り住んだロブはCBGB'Sで出逢った女性ベーシストショーン・イスールト(当時の女友達)らとグループを結成、グループの名前をロブの敬愛する俳優ベラ・ルゴシの主演ゾンビ・ホラー映画『恐怖城(White Zombie)』からホワイト・ゾンビとする。当初はサーストン・ムーアのソニック・ユースに影響を受けたノイズ・ロックを展開していた。ファースト・シングル「Gods on Voodoo Moon」を自身のレーベルであるSilent Explosionより発表したのを皮切りに、「Pig Heaven」、「Psycho-Head Blowout」の2枚のシングルをリリースして1987年ファースト・アルバム「Soul Crusher」を製作する。 1988年、キャロライン・レコーズと契約して「Soul Crusher」を再発国内で流通させる。1989年セカンド・アルバム「Make Them Die Slowly」をビル・ラズウェルのプロデュースで発表する。この頃すでに名前を知られた存在になっていたホワイト・ゾンビに対して、メジャー・レーベルが大争奪戦を開始し、1991年デヴィッド・ゲフィンのゲフィンが獲得し契約する。 1992年、メジャーからのリリースとなるサード・アルバム「セクソシスト~デヴィル・ミュージックVOL.1」を発表。100万枚を超えるヒット作となる。そして1994年パンテラのオープニング・アクトとして来日。 1995年、フォース・アルバム「アストロ・クリープ:2000」を発表。全米で250万枚以上を売り上げるヒット作となる。そしてロブが監督した収録曲の「モア・ヒューマン・ザン・ヒューマン」のPVでMTV Video Music Awardsを受賞。バンドのメンバー自身が監督しての受賞は初めてであった。 1998年、ロブがソロ名義で活動を開始。ロブ・ゾンビ名義での1stアルバム「ヘルビリー・デラックス」が300万枚を超える大ヒットとなり、わずか1週間でホワイト・ゾンビの全アルバムの合計売り上げを超えてしまう。バンド活動の意義を失ったロブはホワイト・ゾンビの解散を決意する。
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