ホルティの和平工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 03:42 UTC 版)
「パンツァーファウスト作戦」の記事における「ホルティの和平工作」の解説
9月20日、ソ連赤軍はアラドを占領し、以前ブダペストに恐慌をもたらした噂が現実となった。ホルティはイタリア戦線で戦闘しているイギリス第8軍(en)に使者を送ったが、イギリス側は現在ハンガリー軍と戦闘しているソ連と交渉するべきと勧告するにとどまった。 10月1日、ファラゴ・ガボル大将を団長とする使節団がソ連の首都モスクワに派遣された。ハンガリー側は交渉条件として即時休戦と独軍の安全な退却、ハンガリー占領に米英軍も参加することを設定していた。しかしソ連側はすぐに回答せず、使節団は待たされ続けた。10月8日、ヴャチェスラフ・モロトフ外相がようやく使節団に面会したが、ソ連側は休戦条件としてドイツに対する即時宣戦布告を要求した。ドイツの占領下に置かれているハンガリー側は困惑したが、ソ連軍がブダペストに次第に近づきつつあったため、10月12日に要求を受諾すると決定した。しかしドイツ軍への対処には前線に配置されているハンガリー軍が必要であり、軍を引き上げるための時間を考慮して10月20日に休戦する旨をモスクワに通告した。これに対してソ連側は「10月16日午前8時」以前に意志を明確化することを要請し、ホルティは10月15日午前10時に閣議決定、正午にフェーゼンマイヤー特使に通告することにした。ホルティは休戦決定文をブダペスト放送に送り、10月15日午後1時に休戦放送を行うよう命令した。 しかしハンガリーが休戦で一致していたわけではなく、駐ブダペスト親衛隊及び警察指導者オットー・ヴィンケルマン(ドイツ語版)親衛隊大将が10月6日に行った情勢判断によると、「議会では矢十字党を中心とする主戦派が影響力を拡大した」「軍内部が分裂し、一部の将軍と上級士官の大部分が継戦を支持している」という状況であった。
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