プロトン加速器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 03:15 UTC 版)
「ドレンシュタインフルト」の記事における「プロトン加速器」の解説
1967年、ドレンシュタインフルト市は、ドイツ連邦共和国が加盟する欧州原子核研究機構 (CERN) の素粒子加速器のドイツ唯一の建設候補地となった。CERNは1963年に加盟国のうちのいずれかにこの研究施設を建設することを決定した。各加盟国は候補地を推薦した。ほかのドイツの候補地であったミュンヘン近郊のエーバースベルクの森、ザールラントのザールルイは連邦教育・研究省(ドイツ語版、英語版)の専門委員会で除外され、ドレンシュタインフルトが選考レースの唯一の候補地として残された。1966年にはメルシュ地区で地質学的性質を調査するための試験的ボーリングが実施された。その結果、ドレンシュタインフルトはこの施設に理想的な地質であることが判った。CERNが設定したその他の条件も満たしていた。 テクトニクスの活動が休止している場所であること 大きな都市の近郊であること(ミュンスター、ハム、ルール地方) 大学の近くであること(ミュンスター、ルール地方) アウトバーンおよび鉄道の近くであること(A1号線、A43号線、鉄道ミュンスター - ハム線) 大容量の電力および水の供給が受けられるインフラが整備されていること 建設費用は15億から20億ドイツマルクと見積もられた。1969年には建設工事が始められる予定であったが、イギリスが資金提供から手を引いたため、決定が遅れた。フランスも割り当てられた資金調達を応諾しなかった。1969年の夏になって決定が下され、素粒子加速器は建設されないことになった。1989年にCERNの素粒子加速器 LEP が、CERN本部があるジュネーヴに建設された。 もしこの施設がドレンシュタインフルトに建設されていたら、町の発展に多大な影響を与えたであろう。この施設のために15,000人収容の研究者や職員用の家屋が必要となる。人口は短期間に何倍にもなる。さらにはミュンスターラントやノルトライン=ヴェストファーレン州北部全体にもその影響は及んだであろう。
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