プライベート・家族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:53 UTC 版)
酒にはめっぽう弱く、甘党であったため、あんパンと炭酸飲料が好物であった。松木謙治郎は現役時代について「いつもサイダーばかり飲んでいた」と記している。南萬満は「糖尿病のおかげで死期を早めた」と記す 一方、松木は「(酒を飲まずにサイダーを飲んでいたことが)選手生命を長く保たせた原因でもある」としている。『真虎伝』には、藤村の夫人が遺骨の前に好物だったというオロナミンCを供えている写真が掲載されている。 家族思いで子煩悩でもあった。子どもたちを叱ることも少なかったという。また、趣味は映画と釣りだと言っている。特に母ものが好きで、映画館でよく泣いていたという。病院嫌いであり、糖尿病がわかったときには、かなり酷い状態であった。 甲子園のスター選手であったが、弟・隆男(後にタイガースなどで選手・コーチ)、長男・哲也(育英)、二男・雅美(三田学園)、そして哲也の子・一仁と賢(共に三重・海星、賢はのちに愛知ベースボール倶楽部に所属)、雅美の子・光司(育英―立教大学、当時の育英監督は雅美)の孫3人が相次いで甲子園に出場し、話題となった。広島、兵庫、三重の3県4校に跨る、全く他に類を見ない「親子3代の兄弟出場」となった。なお、最初の妻を1946年8月に失い(1女あり)、同年オフに当時の冨樫興一球団代表の紹介による見合いで再婚した。披露宴は1946年11月に松戸市にあった旅館で開かれ、鈴木龍二が仲人を務めている。哲也・雅美はこの再婚した妻との間の子息である。後妻は2006年に88歳で亡くなった。
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