フリー・ジャズ期(1965年から1967年)
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「ジョン・コルトレーン」の記事における「フリー・ジャズ期(1965年から1967年)」の解説
1965年6月、コルトレーンはアルバム『アセンション』を発表し、初めてフリー・ジャズに取り組む。コルトレーンはこの時期、マイルスと並んでジャズの指導者的立場にいたが、そのような人物がフリー・ジャズを支持したことは、それまでフリー・ジャズの音楽的意義を理解せず、価値を認めようとしなかった保守的ジャズ・ファンに大きな衝撃を与えた。同時期にコルトレーンはバンドにテナー・サックス奏者の ファラオ・サンダースを加入させ、静のコルトレーンに対して動のサンダースという構図を作り出した。なお、コルトレーンのフリー・ジャズは、激烈さの中に静謐さが同居するもので、瞑想的と表現されることが多い。 1965年頃までのコルトレーンは、サックスを吹く際にほとんどヴィブラート奏法を用いなかったが、晩年になると強烈なヴイブラートをかける奏法に変化していく。同年12月にマッコイ・タイナー(Pf)がバンドを離れ、アリス・マクレオド(アリス・コルトレーン、1966年にジョンと結婚)が加入。1966年3月にはエルヴィン・ジョーンズも退団し、ラシッド・アリをドラマーとして加入させる。 1966年7月に来日。9都市を廻る大がかりな公演を行う。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間でありたいと思いますか?」という質問に対し、コルトレーンは「私は聖者になりたい」と答えたというエピソードがある。また、同じ会見にて「最も尊敬する音楽家は?」という問いに対し、オーネット・コールマンの名前を挙げたといわれる。 1967年5月7日、ボルチモアで最後のコンサートを行う。7月17日、肝臓癌で亡くなる。
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