フリー・ジャズ期とは? わかりやすく解説

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フリー・ジャズ期(1965年から1967年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 08:26 UTC 版)

ジョン・コルトレーン」の記事における「フリー・ジャズ期(1965年から1967年)」の解説

1965年6月コルトレーンアルバムアセンション』を発表し初めフリー・ジャズ取り組むコルトレーンはこの時期マイルス並んでジャズ指導者立場にいたが、そのような人物フリー・ジャズ支持したことは、それまでフリー・ジャズ音楽的意義理解せず価値認めようとしなかった保守的ジャズ・ファンに大きな衝撃与えた同時期にコルトレーンバンドテナー・サックス奏者ファラオ・サンダース加入させ、静のコルトレーンに対して動のサンダースという構図作り出した。なお、コルトレーンフリー・ジャズは、激烈さの中に静謐さが同居するもので、瞑想的表現されることが多い。 1965年頃までのコルトレーンは、サックスを吹く際にほとんどヴィブラート奏法用いなかったが、晩年になると強烈なヴイブラートをかける奏法変化していく。同年12月マッコイ・タイナーPf)がバンド離れ、アリス・マクレオド(アリス・コルトレーン1966年ジョン結婚)が加入1966年3月にはエルヴィン・ジョーンズ退団し、ラシッド・アリをドラマーとして加入させる1966年7月来日。9都市廻る大がかり公演を行う。記者会見で「10年後のあなたはどんな人間ありたい思いますか?」という質問対しコルトレーンは「私は聖者なりたい」と答えたというエピソードがある。また、同じ会見にて「最も尊敬する音楽家は?」という問い対しオーネット・コールマンの名前を挙げたといわれる1967年5月7日ボルチモア最後のコンサートを行う。7月17日肝臓癌亡くなる。

※この「フリー・ジャズ期(1965年から1967年)」の解説は、「ジョン・コルトレーン」の解説の一部です。
「フリー・ジャズ期(1965年から1967年)」を含む「ジョン・コルトレーン」の記事については、「ジョン・コルトレーン」の概要を参照ください。

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