フェンダー・ジャパン株式会社(1982年-1997年)
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「フェンダー (楽器メーカー)」の記事における「フェンダー・ジャパン株式会社(1982年-1997年)」の解説
1970年代以降、日本の楽器市場でフェンダーギターのコピー商品が出回り始めた。フェンダー社はその主な製造先であった東海楽器製造に対して訴訟を起こし販売停止に追い込むなどの対抗手段が取られたが、価格の面でコピー商品を完全に駆逐することができなかった。そのため、最終手段として自身も日本に製造拠点をおいて低価格なギターを販売することにし、1982年に当時の国内代理店であり筆頭株主でもあった神田商会の仲介の元、アイバニーズやグレコなどの下請け製造をしていた富士弦楽器製造(現フジゲン)とフェンダーの共同子会社のフェンダー・ジャパン株式会社を設立した。この時、当時の筆頭株主であった山野楽器と神田商会も共に共同出資を行い、ホテルグランドパレスにて設立発表も行われた。 設立後は、富士弦楽器製造が製造担当となり国内向けの廉価版シリーズをスクワイア(組み立てはダイナ楽器)、ワンランク上の製品をフェンダー・ジャパンとして販売開始された。設立当初のフェンダー社の計画は、日本国内のコピー品の駆逐とスクワイア・ブランドの廉価品のアメリカ国内及び海外販売を目的としたものだった。 しかし、1985年にCBSがフェンダー社を売却し、当時社長であったビル・シュルツが経営権を買収したが工場は含まれなかった為、製造拠点を失っている。その為、新工場が設立されるまでの間、日本のフジゲンが製造した製品がフェンダー製品として世界中で販売された。海外向けのスクワイア(1983年 -1987年)および、Fender USA Vintage re-issue series(1987年まで)の製造は、フジゲンによるものである。 バブル崩壊後、フェンダーメキシコなどの設備投資で大きな負債を抱えていたフジゲンが1997年にフェンダーメキシコ社と共にフェンダー・ジャパン社を売却。完全子会社化したフェンダーはフェンダーメキシコ社のみを残し、フェンダージャパンはスクワイアへと統合され幕を閉じた。
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