フィリップ6世 (フランス王)とは? わかりやすく解説

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フィリップ6世 (フランス王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 05:51 UTC 版)

フィリップ6世
Philippe VI
フランス国王
在位 1328年 - 1350年
戴冠式 1328年5月29日ノートルダム大聖堂ランス

出生 1293年11月17日
フランス王国、ノジャン=ル=ロワまたはクーロム?[1]
死去 1350年8月22日
フランス王国ウール=エ=ロワール、クーロンブ修道院
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
  ブランシュ・デヴルー
子女 一覧参照
家名 ヴァロワ家
王朝 ヴァロワ朝
父親 ヴァロワ伯シャルル
母親 マルグリット・ダンジュー
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フィリップ6世の戴冠

フィリップ6世Philippe VI de Valois, 1293年11月17日 - 1350年8月22日)は、ヴァロワ朝初代のフランス(在位:1328年 - 1350年)。アンジュー、メーヌ伯を兼ねる。フィリップ3世の四男ヴァロワ伯シャルルと最初の妃マルグリット・ダンジューの子。最初の妃はブルゴーニュ公ロベール2世の娘ジャンヌ。最晩年にエヴルー伯・ナバラ王フィリップ・デヴルーの娘ブランシュ・デヴルーと再婚した。幸運王と呼ばれた。

生涯

1325年に父ヴァロワ伯シャルルが薨去し、ヴァロワ伯位を継承した[2]。1328年にシャルル4世が男子を残さず崩御し、妊娠中であったシャルル4世の王妃ジャンヌ・デヴルー(フィリップ・デヴルーの妹)がその没後に出産したのは女児ブランシュ(フィリップ6世の息子オルレアン公フィリップと結婚する)であった[3]。こうしてフィリップ4世の男系男子が途絶えたため、フィリップ3世の男系の孫として、貴族と聖職者の会議でフィリップが選ばれて即位した。

すでに12年前、ルイ10世崩御の際(正確には、ルイ10世の死後に生まれたジャン1世遺児王の死後)、フランク人サリー・フランク族)の古法であるサリカ法を根拠に女系継承を排除していたため(サリカ法の発見及び王位継承への適用はシャルル5世の代であり[4]、ルイ10世から弟フィリップ5世への王位継承は、ルイ10世の娘ジャンヌの嫡出性への疑義が挟まれたためであるとする説もある)、フィリップ4世の女系の孫であるイングランドエドワード3世が王位継承権を主張したものの、フィリップの即位は異議なく受け容れられた[4]。しかし、それまで同君連合の下にあったナバラ王国では女系継承が認められており、またフィリップ自身はナバラ王家の血を引いていなかったため、ルイ10世の娘ジャンヌがナバラ女王フアナ2世として王位を継承した(フィリップの2番目の王妃ブランシュはジャンヌとフィリップ・デヴルーの娘である)。

1328年、3年前から織布工の市民と農民の反乱に苦しんでいたフランドル伯ルイ1世を援助し、8月23日カッセルで反乱軍に勝利する[5]。翌年、フランス王位候補者の一人だったイングランド王エドワード3世が、フィリップの王位を認め、ギュイエンヌの所有についてアミアンで臣従の宣誓(オマージュ)を行った[6][7][8]。ところが1333年、エドワードと対立したスコットランドデイヴィッド2世がフランスに亡命してきた際、フィリップがこれを歓迎した[9][10]。一方エドワード3世も、アルトワ伯領を巡ってフィリップ6世と対立していたロベール3世・ダルトワの亡命を受け入れていた[11][12]。フィリップ6世がロベール3世・ダルトワの引き渡しをエドワード3世に要求するも拒否されると、フィリップ6世はエドワードに対しアキテーヌ公領およびポンティユー伯領の没収を宣言、1337年に始まる英仏百年戦争が勃発した[11][13]。1340年にはエドワード3世はフランス王を称した[13]

1340年6月23日、フィリップの艦隊はスロイスの海戦でイングランドに敗れる[14][15][16]。さらに1346年8月26日クレシーの戦いでフランス軍は「いとも大いなる、且ついとも恐るべき」と歴史家ジャン・フロワサールに言わしめたほどの敗北を喫した[17][18][19]。翌年カレーを占領され、経済は混乱した[17][18]。塩の専売特権を制定してこれに対処したが、流れを押しとどめることはできなかった。黒死病が流行し、国内が混乱する中で1350年に崩御し、長子のジャン2世が跡を継いだ[20]

なお、グルノーブル近辺のドーフィネ領を購入し、息子のジャンに与えられるはずだったが、売買の成立以前にフィリップ本人は崩御したため、孫のシャルル(シャルル5世)に与えられた。これ以降、ドーファンはフランス王太子に与えられたため、その称号となった[21]

幸運王

幸運王の異名はフィリップ6世に治世中にフランスが多くの幸運に恵まれたからである。例えば、1346年のクレシーの戦いでは、フランス軍は大敗したが、フィリップ6世は、この戦いで戦死を免れた。また、黒死病の流行では、フランスは他のヨーロッパ諸国よりも被害が少なかった。

さらに経済政策に成功し、フランスは、ヨーロッパで最も裕福な国のひとつとなった。

子女

1313年に結婚したジャンヌ・ド・ブルゴーニュとの間に以下の子女をもうけた。

  • ジャン2世(1319年 - 1364年) - フランス王
  • マリー(1326年 - 1333年) - ブラバン公ジャン3世の子ジャンと結婚
  • ルイ(1329年)
  • ルイ(1330年)
  • フィリップ(1336年 - 1376年) - オルレアン公
  • ジャンヌ(1337年)

1350年1月19日にブランシュ・デヴルーと再婚し[22]、1女をもうけた。

  • ジャンヌ(1351年 - 1371年)

系図

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カペー朝
フィリップ3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フィリップ4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル
(ヴァロワ伯)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ルイ10世
 
フィリップ5世
 
シャルル4世
 
イザベラ
 
エドワード2世
(イングランド王)
 
ヴァロワ朝
フィリップ6世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジャン1世 エドワード3世 ジャン2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

脚注

  1. ^ 佐藤、p. 19
  2. ^ 佐藤、p. 20
  3. ^ 佐藤、p. 14
  4. ^ a b 福井、p. 125
  5. ^ 佐藤、p. 25
  6. ^ 福井、p. 130
  7. ^ 佐藤、p. 27
  8. ^ 朝治 他、p. 100
  9. ^ 佐藤、p. 28
  10. ^ 朝治 他、p. 102
  11. ^ a b 佐藤、p. 30
  12. ^ 朝治 他、p. 103
  13. ^ a b 朝治 他、p. 104
  14. ^ 福井、p. 131
  15. ^ 佐藤、p. 31
  16. ^ 朝治 他、p. 110
  17. ^ a b 福井、p. 132
  18. ^ a b 佐藤、p. 37
  19. ^ 朝治 他、p. 112 - 113
  20. ^ 朝治 他、p. 114
  21. ^ 佐藤、p. 39
  22. ^ 佐藤、p. 40

参考文献

  • 福井憲彦 編 『新版 世界各国史12 フランス史』 山川出版社、2001年
  • 佐藤賢一 『ヴァロワ朝 フランス王朝史2』 講談社現代新書、2014年
  • 朝治啓三 他 『中世英仏関係史 1066-1500』 創元社、2012年
先代
シャルル4世
フランス国王
1328年 - 1350年
次代
ジャン2世



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