ファリア師と催眠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 05:29 UTC 版)
「ジョゼ・クストディオ・デ・ファリア」の記事における「ファリア師と催眠」の解説
催眠は、19世紀初頭には動物磁気、またはその発見者の名を取ってメスメリズムと呼ばれていた(動物磁気説)。提唱者であるドイツの医師フランツ・アントン・メスメルは、催眠現象を心理学的な作用ではなく、宇宙全体を覆う物理的流体の所作であると唱えたが、1784年にはフランス王立科学アカデミーによって、そのような物理的作用は存在しないと証明された。しかしその後も動物磁気は、民間レベルにおいては試行され続けていた。 1813年、パリに戻ったファリアは「超覚醒睡眠」(sommeil lucide)に関する公開講義を行なった。これは、当時有力だったピュイゼギュール侯爵等の磁気流体説と交流論を批判するものであり、暗示および自己暗示を重要視するものだった。また彼は、磁化過程(催眠誘導)は治療者よりも被治療者に負うものだと主張し、あるタイプの人間は磁化されやすい(被暗示性が高い)とし、そういう人を天然幻視者と名付けた。さらに彼は、磁化状態(催眠状態)の患者に幻視を起こし、また後催眠暗示を与えることにも成功した。これらの理論は、当時としては極めて先駆的で、後にアンブロワーズ=オーギュスト・リエボーら、ナンシー学派の提唱する暗示療法に直接繋がるものである。心理学者のピエール・ジャネは、ナンシー学派の真の始祖はファリア師でありリエボーらは継承者に過ぎないと言う。 しかし、ファリアはパリでは充分に成功したとは言い難かった。弟子であるフランソワ・ノワゼ(フランス語版)によると、フランス語が堪能でなかったため、悪意ある俳優に騙され笑い者になり、山師呼ばわりされたという。
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