パンパン狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:16 UTC 版)
連合国軍GHQ公衆衛生福祉局 (PHW) は占領開始当初から性病対策を重視していた。1945年10月のSCAPIN153号「VDコントロールについての覚書 (Control of Venereal Diseases)」は、厚生省に対して梅毒・淋病・軟性下疳を指定伝染病に追加して患者の身元情報を報告し、感染のおそれのある者への検査と治療を命じている。この一環として個別感染事例のコンタクト・トレーシングとともに、街頭で該当者を一斉に逮捕して検査をする「狩り込み」が、京都で1945年11月、1946年1月に行われた。1946年(昭和21年)11月に池袋で、MP(英語版)と日本の警察が通行中の女性を無差別に逮捕し、膣検査のため吉原病院に送るという事件も発生した(板橋事件)。1948年に性病予防法が施行されてからは、狩り込みは警視庁防犯部保安課性病取締斑の担当となったが、MPが主導する実態も続いた。 これは「キャッチ」「パンパン狩り」と呼ばれた。
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