パスティに関する出来事の歴史
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「パスティ」の記事における「パスティに関する出来事の歴史」の解説
ヘンリー3世(1207-1272)は13世紀の許可状を、グレート・ヤーマスに授けた。町はノリッジの保安官に毎年100匹のニシンで24個のパスティを焼いて送ることが義務付けられ、保安官はそれを東カールトン(en)の領主に送り、領主は王に献上した。 13世紀の歴史研究者、マシュー・パリス (Matthew Paris) は、セント・アルバンス・アビーの修道僧が「慣習に従い、獣肉のパスティを糧として生きた」と著した。 1300年頃の、料理本『ル・ヴィアンディエ』の初期の版で、パスティのレシピが記載された。 1393年 - 『ル・メナジエ・ド・パリ』 (Le Ménagier de Paris) には、鹿肉、子牛肉、牛肉、またはマトンのパステ(pasté)のレシピがあり、pastéは時々現代英語のpastyに翻訳される。 1420年 - 15世紀の料理本に、デヴォンシャー公の祝宴に供される「鹿肉パスティ」がある。 1465年 - ジョージ・ネヴィル(ヨーク大司教とイングランド大法官)叙任の祝祭で、4,000の冷製および1,500の温製パスティが供された。 16世紀(1510年)のプリマス自治都市の監査記録と財務記録(プリマスおよび西デヴォン公文書保存館に保管)は、タマー川対岸のマウント・エッジカムの鹿肉を使用するパスティ製造の費用が示されている 。 パン屋からヘンリー8世の妻、ジェーン・シーモア(1510-1537)への手紙に、「…このパスティが、この前のものよりも良い状態で届けられることを願う…」とある。 1672年 - Hannah Woolleyの著書『The Queen-like Closet or Rich Cabinet』で鹿肉のパスティ作りが記述された。 1678年 - Mary Tillinghastの著書『Rare and Excellent Receipts』。 1707年 - ジョージ・ファーカー (George Farquhar) の戯曲『The Beaux' Stratagem(しゃれ男たちの策略)』で言及された。 1720年 - ラムと鹿肉のパスティのレシピが、Edward Kidderの著書『Receipts of Pastry and Cookery』に記述された。 1742年 - Mary Swanwickの『Her Cookery Book』。 1774年 - Hannah Glasseの『The Art of Cookery(料理術)』で、鹿肉パスティを記述。 18世紀 - トゥルロのコーンウォール公文書保存館(CRO)は、1746年のコーニッシュ・パスティのレシピを保管している。これが本来の「コーニッシュ・パスティ」レシピの最古の記録である。
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