バルフォア法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 23:55 UTC 版)
「アーサー・バルフォア」の記事における「バルフォア法」の解説
しかしバルフォアは強圧一辺倒の大臣ではなく、1890年3月と11月にはアイルランド小作人が地主から土地を購入できるよう支援する「土地購入および稠密地方(アイルランド)法案」(通称「バルフォア法」)を提出した。3月提出の法案は否決されたが、11月に再提出されたものが可決された。 この「バルフォア法」は、第一次ソールズベリー侯爵内閣期に制定されたアシュバーン法(英語版)を拡張させたものであり、土地購入を希望するアイルランド小作農に土地購入費の貸し付けを行う「土地委員会」の貸付限度額をそれまでの500万ポンドから3300万ポンドに大幅増額させ、さらに現に小作人である者だけでなく、かつて小作人だった者も保護対象としており、後の追放小作人法の先駆となる法律であったといえる。 しかし国庫の負担を軽くするために複雑な体系にもなった。まず地主への支払いは現金ではなく、アイルランド銀行が発行する2.75%の利子付きの土地債権に変更されたが、この土地債権は地主に直接渡されたため、土地債権の価格変動が地主の土地売却の意欲に直接的に影響を及ぼすようになった(コンソル公債と交換可能にすることによって土地債権がコンソル公債以下の価格にならないよう配慮はされているが)。また土地購入者は保険金を積み立てることになり、そのために最初の5年間は旧地代の80%を支払わねばならなかった。さらに土地購入者が49年間に渡って支払うことになっている4%の年賦金の一部が「県のパーセンテージ(County percentage)」として地方税会計に流用されることになった(利子2.75%、償却費1%、県のパーセンテージ0.25%)。 このような制度の複雑化のために結果としてはアシュバーン法の時よりも土地購入申請者数が減少した。1896年のバルフォア法改正の際にアイルランド担当大臣を務めていた弟ジェラルド・バルフォア(英語版)が議会に行った報告によればアシュバーン法下での申請数は6年間で4645件なのに対して、バルフォア法下での申請数は4年間に2600件に留まるという。しかしこの時に弟ジェラルドによってバルフォア法は改正され、「県のパーセンテージ」や保険金制度が廃止されて制度は簡略になり、また年賦金算定の基礎となる前貸金を10年ごとに算出して減少させていく修正案も導入された。この修正のおかげでバルフォア法下での土地購入申請も増えていき、1902年3月までに約3万7000人のアイルランド小作人が土地を購入することができたのであった。
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