バルカン半島問題担当特使への就任とは? わかりやすく解説

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バルカン半島問題担当特使への就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:40 UTC 版)

リチャード・ホルブルック」の記事における「バルカン半島問題担当特使への就任」の解説

ホルブルック次官退任の際、クリントン大統領からバルカン半島問題挙げた功績評価されバルカン問題担当特使(特別代表)に「(政府人間ではなく民間人として就任するよう直々に打診受けていた。 この打診を受け、彼は1997年に「民間人としてバルカン問題担当特使就任し1999年国連大使就任するまでの間、同職務めた。この時にはバルカン問題担当併せてキプロス問題担当特使ポスト受命している。また、特使務めにあたって無報酬原則としていた(いわゆるプロボノ)。 特に1998年から翌1999年にかけては、コソヴォ紛争解決向けて尽力した。しかし和平交渉は困難を極め1999年3月18日には、解決向けて提案されランブイエ合意セルビア側が署名拒否するなど、交渉は再び行き詰まり様相呈した。これを受けてホルブルック3月21日ユーゴスラビア首都ベオグラード訪問し当時スロボダン・ミロシェヴィッチ大統領対し事実上最後通告突きつけている。しかしミロシェヴィッチ側はこれを黙殺する姿勢をとったため、NATO軍は3月24日より空爆アライド・フォース作戦)を開始しユーゴスラビア対す武力行使介入踏み切ることとなった。 この特使在任中には自身バルカン半島問題に関する体験について大量文章書き記しており、1998年にこれを1冊の本にまとめ、出版した。この“To End a War”と名付けられ回顧録では、デイトン合意成立向けた和平交渉担当していた頃の体験などが記されている。この本は大きな反響呼びニューヨーク・タイムズ紙編集者が選ぶ「1998年出版発売され11冊の良書」のうちの1冊に選ばれるなど、好評博した。 ただし、この回顧録内容について異論もある。例えば、スルプスカ共和国大統領ラドヴァン・カラジッチや、デイトン合意向けて和平協議にも参加したボスニア・ヘルツェゴヴィナの元外相ムハメド・サツィルベイ(英語版)などは、「ホルブルックカラジッチとの間で、カラジッチ大統領職辞任し政界から身を引くなら、その見返りとして旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷ICTY)による訴追受けない(身の安全を保障する)旨の密約結んでいた」と主張している。ただしホルブルック自身は、このカラジッチ主張に「全くの嘘だ」と反論し密約存在否定している。

※この「バルカン半島問題担当特使への就任」の解説は、「リチャード・ホルブルック」の解説の一部です。
「バルカン半島問題担当特使への就任」を含む「リチャード・ホルブルック」の記事については、「リチャード・ホルブルック」の概要を参照ください。

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