バルカン半島戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:22 UTC 版)
「ヨーゼフ・ディートリヒ」の記事における「バルカン半島戦」の解説
1941年4月のバルカン戦線 (第二次世界大戦)にライプシュタンダルテは第12軍(ヴィルヘルム・リスト大将)隷下で参加。 フランス・メスからブルガリアのソフィアに移された後、1941年4月6日にユーゴスラヴィア南部へ侵攻を開始し、スコピエやビトラといった要衝を陥落させて4月10日にはギリシャへと進攻した。 クリディ峠でオーストラリア国防軍やニュージーランド軍、クリスラ峠でギリシャ軍から激しい反攻を受けたが、クルト・マイヤーなどの優秀な部下たちの活躍もあってライプシュタンダルテは凄まじいスピードでギリシャを席巻した。4月23日にはギリシャが降伏文書に署名し、英軍はクレタ島へ逃れた。 ギリシャ全軍の降伏の3日前の4月20日にディートリヒは16個師団から成るギリシャ・エピルス軍(ディートリヒの部隊によって退路を断たれていた)の降伏の申し出を独断で受理している。その際にギリシャ軍兵士たちを捕虜とはせずに直ちに復員させている。こうしたこともあってギリシャ戦ではライプシュタンダルテは「勇猛だがフェアな部隊」という高評価を得た。 ライプシュタンダルテはアテネで先勝パレードを行った後、プラハに戻され、そこで師団編成を受けた。
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