ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/29 16:00 UTC 版)
「エリー鉄道」の記事における「ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年」の解説
ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 (New York and Erie Rail Road) は、ニューヨークの北にあるハドソン川沿いの町ピアモント(英語版)とエリー湖沿いの町ダンカーク(英語版)を結ぶ計画で、ニューヨーク州知事エノス・トループ(英語版)から1832年4月24日に特許を得た。1841年2月16日には、デラウェア川の西側でペンシルベニア州の北東側角の部分を通過する許可を得た。建設は1836年に始まり、ピアモントからゴーシェン(英語版)まで1841年9月23日に開通した。財務上の問題を何点か乗り越えて、1846年8月に建設は再開され、次のポート・ジャービス(英語版)までの区間は1848年1月7日に開通した。さらに1848年12月27日にはビンガムトンへ、1849年1月1日にはオウェゴ(英語版)へと延長され、ダンカークまでの全区間は1851年5月19日に開通した。ダンカークではエリー湖を渡りミシガン州デトロイトへ連絡する汽船に接続していた。 この路線は6フィート(1,829 mm)の広軌で建設された。これは、他の路線へ輸送が流出するのを防ぐもっともよい方法と考えられたためであった。 1848年には、ペンシルベニア州レーンズボロ(英語版)にスタールッカ・クリーク(英語版)を横断する石造のスタールッカ高架橋(英語版)が建設された。これは現存しており使用されている。この高架橋は長さ1,040フィート(317 m)、高さ100フィート (30.5 m)、軌道面での幅25フィート (7.6 m) ある。ペンシルベニア州で現在も使用中の石造鉄道橋としては最古のものである。 1845年4月8日には、ハリマン(英語版)の近くで本線から分岐して北北東へハドソン川沿いのニューバーグまでを結ぶニューバーグ支線を建設する鉄道特許の追加を受けた。この支線は1850年1月8日に開通した。この路線は後に、川の対岸にあるビーコンと結ぶ鉄道はしけによりニューヨーク・アンド・ニューイングランド鉄道(英語版)との連絡に使用された。 パターソン・アンド・ラマポ鉄道 (Paterson and Ramapo Railroad) とユニオン鉄道 (Union Railroad) は1848年に開通し、ラマポのサファーンでニューヨーク・アンド・エリー鉄道と接続して、ニューヨークのハドソン川対岸にあるジャージーシティまでを結んだ。通しの乗車券発売は1851年に開始されたが、軌間が異なっていたのでラマポで乗換が必要であった。1852年にはニューヨーク・アンド・エリー鉄道はこの2社をパターソン・アンド・ハドソン・リバー鉄道(英語版)とともに借り受け、広軌の列車を走らせられるようにする三線軌条の工事が完了した後、1853年11月からニュージャージー鉄道のジャージーシティのターミナルへニューヨーク・アンド・エリー鉄道の列車が乗り入れるようになった。 1852年に、ニューヨーク・セントラル鉄道の鉄道網の一環を構成する、バッファロー・アンド・ロチェスター鉄道(英語版)がバッファローとバタビアを結ぶ新しい路線を開通させた。この新線のうち、バッファローからアッティカ(英語版)までは、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道傘下のアッティカ・アンド・ホーネルズビル鉄道 (Attica and Hornellsville Railroad) を再構成した、バッファロー・アンド・ニューヨーク・シティ鉄道 (Buffalo and New York City Railroad) に売却され、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道と同じ広軌に改軌された。アッティカから南東にホーネルズビル(英語版)までの延長は1852年11月17日に開通し、これによりニューヨーク・アンド・エリー鉄道はダンカークより優れた終点であるバッファローへ到達することができた。 ニューヨーク・アンド・エリー鉄道は、シェマング鉄道(英語版)の運行を1850年に開始し、これによりホースヘッズ(英語版)から北へワトキンズ(英語版)までの支線を得た。さらにキャナンデーグア・アンド・エルマイラ鉄道 (Canandaigua and Elmira Railroad) が北への延長として1851年にワトキンズからキャナンデーグアまで開通し、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道が1853年まで営業した。この時点でエリー鉄道は、シェマング鉄道をキャナンデーグア・アンド・エルマイラ鉄道へ転貸した。キャナンデーグア・アンド・エルマイラ鉄道は1857年に破産し、1859年にエルマイラ・キャナンデーグア・アンド・ナイアガラ・フォールズ鉄道 (Elmira, Canandaiga and Niagara Falls Railroad) として再建され、破産中の1858年にニューヨーク・アンド・エリー鉄道に返却されていたシェマング鉄道はこの時点で再び転貸された。 キャナンデーグア・アンド・ナイアガラ・フォールズ鉄道 (Canandaigua and Niagara Falls Railroad) はこの路線をさらにキャナンデーグアからノース・トナワンダ (North Tonawanda) まで延長し、そこからバッファロー・アンド・ナイアガラ・フォールズ鉄道(英語版)からの線路使用権によりナイアガラフォールズまで、そしてナイアガラフォールズ橋(英語版)をわたってオンタリオ州へとつないだ。この路線も1853年の開通からキャナンデーグア・アンド・エルマイラ鉄道によって借り受けられたが、破産した後1858年に返却され、ナイアガラ・ブリッジ・アンド・キャナンデーグア鉄道 (Niagara Bridge and Canandaigua Railroad) として再建されニューヨーク・セントラル鉄道によって借り受けられた。ニューヨーク・セントラル鉄道はこの路線を標準軌に改築して、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道を締め出した。 ニューヨーク・アンド・エリー鉄道は蒸気機関車の燃料を得るために、ペンシルベニア州のエルク郡、ジェファーソン郡、クリアフィールド郡などの炭田へ向けて南へ進んだ。こうした動きは1859年2月26日に2つの鉄道会社を合併してバッファロー・ブラッドフォード・アンド・ピッツバーグ鉄道 (Buffalo, Bradford and Pittsburgh Railroad) を発足させたところから始まった。この新しい会社は、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道によって支援されていた。バッファロー・ブラッドフォード・アンド・ピッツバーグ鉄道は、ニューヨーク・アンド・エリー鉄道の本線からニューヨーク州キャロルトン(英語版)で分岐し、25.97マイル走ってペンシルベニア州ブラッドフォード(英語版)までを結んだ。歴青を産出する鉱山のあるジャイルズビル (Gilesville) まで1866年1月1日に開通した。
※この「ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年」の解説は、「エリー鉄道」の解説の一部です。
「ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年」を含む「エリー鉄道」の記事については、「エリー鉄道」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年を検索
- ニューヨーク・アンド・エリー鉄道 1832年 - 1861年のページへのリンク