ニクソン、フォード、カーター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:02 UTC 版)
「アメリカ合衆国の保守主義」の記事における「ニクソン、フォード、カーター」の解説
リチャード・ニクソン(在位1969年-1974年)およびジェラルド・フォード(在位1974年-1977年)各共和党大統領の政権は、対外的にデタント、体内的には賃金と物価の制御による経済介入で特徴付けられる。フォードはヘンリー・キッシンジャーを国務長官として留任させ、ソビエト連邦とのデタント政策を進めたことで、保守派を怒らせた。保守派は新しい盟主としてロナルド・レーガンを見出した。レーガンは1976年にカリフォルニア州知事8年間の任期を終えたところであり、保守派はレーガンが共和党の大統領候補指名を得られるよう応援した。フォードが辛うじて候補指名を受けることになったが、大統領選挙では落選した。1974年の中間選挙でリベラル派民主党が大躍進した後、アメリカ国民はジミー・カーターを大統領に選んだ。カーターは母体である南部バプテスト派にとって余りにリベラルであることが分かり(南部バプテスト派は1976年にはカーターに投票したが、1980年には投票しなかった)、民主党本流にとっては余りに保守的であり、また多くの者からは外交には向いていないと判断された。カーターは国内の不快感が強いことを認識したが、それに対して国民を責め、インフレは留まるところを知らず、利率は上がり続け、経済は停滞した。1979年から1981年に掛けての444日間、イランのテヘランでイスラム系過激派がアメリカ大使館員を人質にする事件が長期化すという屈辱があった。
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