ナントとブルターニュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:01 UTC 版)
ナントは歴史的なブルターニュ地方の都市で、かつてはレンヌとともに首都であったが、現在はレンヌとは違いロワール=アトランティック県に属している。 歴史的に、ナント周囲の地方(フランス語: Le Pays Nantais; ブルトン語: Bro Naoned; ガロ語:Paeï de Nàntt)は常にブルターニュの一部とみなされてきた。1207年、ブルターニュ公はナントを自らの本拠地とし、ロワール川岸に居城を築いた。歴代の公爵・公妃はいずれもナント大聖堂か近郊の修道院に埋葬されてきた。 1789年、フランスの歴史的な州の再編の結果、ブルターニュ地方は5つに分割された。そのうちのロワール=アンフェリウール(Loire-Inférieure、現在のロワール=アトランティック県)にナントは属した。文化的にも他と違う状態のまま、行政的な州としてのブルターニュは19世紀から20世紀初頭まで存在しなかった。20世紀に地方再編が行われた結果、1941年にヴィシー政府によってロワール=アトランティック県は他のブルターニュ4県から切り離された。新設県はナントに県都機能を置き、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏に属すことになった。 この動きに固執する議論が多く行われた。反対派は、ブルターニュからのナントの分離は非民主的に選ばれた政権によって行われたと主張した。そしてロワール=アトランティック県は文化的、歴史的、地理的にもブルターニュ地域圏と統合すべきであると断言した。賛成派は、再統合はナントとレンヌの間でどちらが首都となるかという諍いが再開されると議論し、ナントはペイ・ド・ラ・ロワール地域圏の県にとどまるべきとする。 言語学の論点も関わりがある。ブルターニュ東部(ブルターニュ・ガレーズBretagne Gallèseまたはオート=ブルターニュHaute Bretagneと呼ばれる)はフランス語と同様にロマンス諸語、特に地元のガロ語がブレイス語以上に影響を持ってきた。ところが、ナント、サン=ブリユーを含む多くの大都市では、ブレイス語が時にさらに広く話され、特に都市のブルジョワ人口で顕著である。近年、多くの二言語プラークがブレイス語オフィスの支援で市内の観光地に掲げられている。 さらに最近の2004年5月15日、6,000人の参加者を集めた、ブルターニュ再統合デモがナントで組織され、同時に論争についての5つの調査がされた結果、ロワール=アトランティック県人口の62%から75%が再統合賛成であった。
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