ナイランド兄弟とは? わかりやすく解説

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ナイランド兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/29 02:13 UTC 版)

ナイランド兄弟(左から右へ):エドワード、プレストン、ロバート、フレデリック

ナイランド兄弟(Niland brothers)は、第二次世界大戦で軍隊に所属した、ニューヨーク州トナウォンダ出身のアイルランド系アメリカ人の四兄弟である。彼らはマイケル・C・ナイランド夫妻の息子である。しばらくの間、フレデリック・”フリッツ”だけが生き残ったと思われており、3人の兄弟の死亡が報告されたのち、フリッツは兵役終了のため米国に送り返された。後になってようやく、行方不明で死亡したとされていた兄のエドワードがビルマにある、日本が管理する捕虜収容所で捕虜になっていることが分かった。スティーブン・スピルバーグ監督の1998年の映画『プライベート・ライアン』は、このナイランド兄弟の話におおよそ基づいている[1]

兄弟たち

  • エドワード・フランシス・ナイランド二等軍曹(1912年12月22日 – 1984年2月28日)[2]米陸軍空軍所属:1944年5月16日に捕虜となり、ビルマの日本の捕虜収容所に投獄され、1945年5月4日に解放された[2][3]。エドワードはB-25からパラシュートで降下し[4] 、捕らえられる前にビルマのジャングルをさまよった。エドワードは1984年に71歳で亡くなるまでニューヨーク州トナウォンダに住んでいた[2]。作家のスティーブン・アンブローズは、その著作『D-Day』において、エドワードがビルマで亡くなったと誤って記載している。
  • プレストン・トーマス・ナイランド少尉(1915年3月6日 - 1944年6月7日)[2]、29歳で戦死、第22歩兵連隊、第4歩兵師団所属:1944年6月7日、ノルマンディーのクリスベック砲台で戦死した。
  • ロバート・ジョセフ・ "ボブ"・ナイランド二等軍曹(1919年2月2日 - 1944年6月6日)[2]、25歳で戦死、D中隊、第505パラシュート歩兵連隊、第82空挺師団所属:1944年6月6日にノルマンディーで戦死した。彼は、ジェームズ・ケリー伍長の後ろに留まり、彼の中隊がヌーヴィル・オー・プレーンから撤退する間、ドイツ軍の前進を阻止することを志願し、機関銃を構えている間に戦死した。一方、ジェームズ・ケリー伍長は助かった。
  • フレデリック・ウィリアム・ "フリッツ"・ナイランド軍曹(1920年4月23日 – 1983年12月1日)[2]、H中隊、第501パラシュート歩兵連隊、第101空挺師団所属:フリッツはウォーレン・ムックおよびドナルド・マラルキーと親友であった。彼はノルマンディー上陸作戦の最初の数日間を戦い、9日後に第82空挺師団に所属している兄のボブに会いに行ったが、戦死したと知らされた。彼はイギリスを経由し、アメリカに送還され、戦争が終わるまでニューヨークで軍警察(MP)を務め、その後大戦時の貢献に対しブロンズスターを受賞した[2]。これらの話は、スティーブン・アンブローズの著書 『バンド・オブ・ブラザーズ』や、フランシス・L・サンプソンの伝記データで裏付けられている[5]。映画『プライベートライアン』の登場人物であるジェームス・ライアン二等兵は、彼がモデルとなっている[1]。彼は、マリリン・ハートネット・バットと結婚し、キャサリン(ケイト)とメアリーの2人の娘をもうけ[要出典]、1983年にサンフランシスコで63歳で亡くなった[2]

記念碑

参照

参考文献

  1. ^ a b Mark Bando (2001). 101st Airborne: The Screaming Eagles at Normandy. Zenith Imprint. pp. 153–155. ISBN 1610606914 
  2. ^ a b c d e f g h The Niland Boys”. Canisius College (July 2006). 2012年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月9日閲覧。
  3. ^ “Tonawanda Flier Freed from Japs”. Buffalo Courier Express. (1945年5月5日). オリジナルの2006年9月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060922115130/https://www.canisius.edu/images/userImages/libweb/Page_7937/tnwnd_flier_freed_frm_jps.pdf 2009年8月9日閲覧。 
  4. ^ “400 Prisoners in Crossfire Aided by Native: Tonawanda Lad Freed by British in Burma”. Buffalo Courier Express. (1945年5月8日). オリジナルの2006年9月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060922115044/https://www.canisius.edu/images/userImages/libweb/Page_7937/400_prsnrs_in_crssfre_aidd_by_ntve.pdf 2009年8月9日閲覧。 
  5. ^ Francis L. Sampson (1912-1996)”. Find a Grave. 2008年8月9日閲覧。

ナイランド兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:25 UTC 版)

プライベート・ライアン」の記事における「ナイランド兄弟」の解説

本作ストーリーは、ナイランド兄弟の逸話が基になっているライアンモデルとなったフレデリック・ナイランド三等軍曹には、エドワードプレストンロバート三人の兄がいた。フレデリックノルマンディー上陸作戦初日に、輸送機パイロットミス予定降下地点からかなり離れた内陸地点降下してしまい、なんとか原隊復帰したところ、部隊従軍牧師から3人の兄全員戦死した告げられた。国防省ソウル・サバイバー・ポリシー巡洋艦ジュノー」に勤務していたサリヴァン兄弟が、ジュノー撃沈によって全員戦死サリヴァン家は断絶してしまったことを受けて制定されルール)に基づいてフレデリック前線から引き抜かれ本国送還されることとなったフレデリック本人それほど帰国したかったわけではなかったらしく、しばらくは部隊行動を共にしていたが、従軍牧師書類提出してしまったため、上層部認可された後は帰国するしかなかった。帰国後、彼は終戦までニューヨーク州憲兵として勤務している。 映画違いフレデリック原隊自力復帰した事からも分かるように、救出隊組織されという事実はない。また、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}母親のナイランド夫人実際に未亡人ではなかったが、息子3人の死亡通知同時に受け取ったというのは史実らしい[要出典]。なお、長兄エドワード戦死誤報で(実際に作戦中行不明)、捕虜になってビルマ日本軍収容所収監されていたところをイギリス軍救出され帰国後に母親との再会果たしている。

※この「ナイランド兄弟」の解説は、「プライベート・ライアン」の解説の一部です。
「ナイランド兄弟」を含む「プライベート・ライアン」の記事については、「プライベート・ライアン」の概要を参照ください。

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