ドージョー・チャクリキへの移籍
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「ジェロム・レ・バンナ」の記事における「ドージョー・チャクリキへの移籍」の解説
2009年は引退後の生活のために練習と並行して映画撮影をやらざるをえなかったため、戦いへのモチベーションが落ちていたことを反省。2010年2月には再びモントリオールのトライスタージムでジョルジュ・サンピエールらと練習した後、3月からはアムステルダムに単身赴任して名門ドージョー・チャクリキで練習に集中するようになった。なお、元プロボクシングWBA・WBC世界クルーザー級統一王者ジャン=マルク・モルメクとボクシングルールでの対戦を3月または4月にフランスで実現させるために交渉していたが、モルメクが対戦を拒否したため実現しなかった。 4月3日、K-1 WORLD GP 2010 IN YOKOHAMAでタイロン・スポーンと対戦し、1ラウンドにダウンを奪い判定勝ちを収めた。 7月23日、レユニオンのサン=ドニにて、3分5ラウンドのムエタイルールでWPMFムエタイ世界スーパーヘビー級王者トーマス・ノヴァクに挑戦し、1ラウンドにダウンを奪い、5ラウンドに右フックで失神KO勝ちを収め、同王座を獲得。その後、同王座は返上した。 10月2日、K-1 WORLD GP 2010 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦にてK-1世界ヘビー級王者・京太郎と対戦。試合は判定に入り、ジャッジ3人のうち1人がバンナを支持するも1-0でドローとなり延長ラウンドへ突入する。しかし、判定の結果が告げられると判定に対して怒りを露にしたバンナがリングを下り控え室へ戻ってしまったため、試合放棄とみなされ敗退となった。試合後の会見でバンナは「京太郎は素晴らしい選手だが、判定は公平じゃなかった」と不満を語った。一方の京太郎は「今まで21試合してきて初めて勝ちたいと思ったし、一番怖かった試合でした。僕は判定を聞くまで"90パーセント負けた"と思っていた」と語った。 12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜にて4年ぶりの総合格闘技ルールマッチで北京オリンピック柔道男子100kg超級の金メダリスト石井慧と対戦。スタンドで膝蹴りを浴びせ、寝技では石井の関節技をかわしきってマウントポジションを奪う場面もあったが、3Rに抑え込まれて判定負け。
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