ドライジーネの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:30 UTC 版)
車輪が誕生して5000年以上もの間、エジプト文明、ギリシャ文明、ローマ文明等、様々な時代、文明でも自転車が登場することはなかった。その間、車輪が横に2つ並んだ馬車やリアカーは発明されたが、人々はなかなか車輪を縦に2つ並べるという発想を思いつくことはなかった。欧州で最初の自動車、四輪の蒸気自動車が発明されても、まだ自転車は存在しなかった。 1815年、インドネシアのタンボラ山が大噴火した影響で翌年まで世界的な異常低温気候が続き、作物が十分に育たずに馬の大量死が起きてしまった。ドライス男爵は噴火によって飢え死んだ馬の代わりを探していた。そこでドライスは馬に似せた車輪付きの乗り物「馬のいらない四輪馬車」を考案。ドイツ・バーデンにおいて、「馬のいらない四輪馬車」の特許を申請した。しかし、これは画期的なものとは考えられず却下されてしまった。1817年、ドライスは試行錯誤の末、二本足で地面を蹴って走る「ドライジーネ」を発明した。1817年6月12日、ドライス男爵はドライジーネを一般に公開。彼はマンハイムからシュヴェツィンゲンまで約15 kmの区間をわずか1時間で往復。そのスピードは駅馬車よりも速く、人々に大きな衝撃を与えた。更に1カ月後の1817年7月、ドライスはドライジーネにまたがり、駅馬車とレースを行った。若き男爵の強靭な脚力もあり、駅馬車の4分の1の所要時間となる4時間で約50kmを走破。当時の書物には、駅馬車に完勝した記録が残っており、これが二輪車が初めて歴史に登場した記録であり、史上初の二輪車レースの記録とされている。1817年、バーデンとパリの登記所にて「ドライジーネ」の特許は受理され、1818年1月22日、ドライス男爵はバーデンにて10年にわたる商業権を認められた。
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