ドキュメンタリーからテレビへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 17:35 UTC 版)
「三枝源次郎」の記事における「ドキュメンタリーからテレビへ」の解説
第二次世界大戦終結後は、独立プロダクションで2本撮った記録が残っている。1947年(昭和22年)、今村貞雄が東京に設立したラジオ映画に入社、製作部長を務めた(1947年 - 1949年)。『日本映画監督全集』における岸によれば、戦時中から引き続き1957年(昭和32年)9月まで朝日映画社に在籍し、同年10月、開局5年後の日本テレビ放送網に入社したという。1969年(昭和44年)に発行された『映画年鑑 1969』には、日本テレビ放送網編成局映画部に在籍している情報とともに、1967年(昭和42年)12月1日の「映画の日」に行われた昭和42年度永年勤続者表彰において、秀映社代表取締役の住田瑛介(役職は当時、以下同様、当時60歳)、飛島興業技術部長の岸田九一郎(当時60歳)、東映東京撮影所監督の伊賀山正徳(当時62歳)、撮影技師の川口和男(当時58歳)、東宝撮影技師の玉井正夫(当時60歳)、テレビ現像代表取締役の野村昊(当時70歳)らとともに、表彰されたことが記録されている(当時67歳)。1970年(昭和45年)、日本テレビ放送網嘱託演出。 1976年(昭和51年)に刊行された『日本映画監督全集』には、当時存命とされているが、以降の消息は不明である。
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