ドイツ保護領・スロバキア第一共和国時代
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「チェコスロバキア国鉄」の記事における「ドイツ保護領・スロバキア第一共和国時代」の解説
チェコスロバキア第二共和国はナチスドイツによって1939年3月15日に崩壊し、チェコ側のボヘミアおよびモラビア地方はドイツ保護領に、スロバキア側はドイツ保護国のスロバキア第一共和国となり、ČSDはドイツ国営鉄道運営のチェコモラヴィア鉄道(ČMD-BMB, チェコ語:Českomoravské dráhy / ドイツ語:Protektoratsbahnen Böhmen und Mähren)と、スロバキア共和国運輸公共事業省運営の国営鉄道、スロバキア鉄道(SŽ, スロバキア語:Slovenské železnice)に分離されて消滅した。その後、1939年9月1日の第二次世界大戦勃発とともに、燃料の軍需転換のために内燃動車の運転が段階的に中止された。 SŽを運営することになったスロバキア運輸公共事業省は、大戦初期の1940年に新線6路線の建設を計画し着工したが、実際に開業できたのはプレショウーフメンネー鉄道線(1943年開業、60.4km)の1路線にとどまった。戦時需要のため輸送量は多かったが、貨物輸送の70%はドイツ向けの輸出で占められた。 1942年には強制収容所へのユダヤ人鉄道輸送も開始され、大戦末期にはドイツ国内から電気機関車など多数の車両が疎開していた。
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