ドイツ側の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:32 UTC 版)
「1944年11月1日の海戦」の記事における「ドイツ側の動向」の解説
ダルマチアの都市(ザダル、シベニク、フューメ)からのドイツ軍の撤退、ヴィーキンガー (Wikinger) 作戦では、海軍の護衛の下での兵員、軍需物資を運ぶ船団の運航が必要であった。この撤退は、ザダルやシベニクがユーゴスラビアのパルチザンの手に落ちるのも時間の問題となっていたことによるものであった。ヴィーキンガーII船団は11月1日17時にシベニクから出航した。船団はMarinefährprahm「MFP522」、「MFP554」、「 MFP484」、「MFP354」からなるAグループと、Pionier-Landungsboot13隻、大型のSturmboot2隻からなるBグループから構成されていた。 行程の前半部分では船団の護衛は第3Sボート隊が行い、次いでフューメを拠点とする第2護衛隊 (Geleitflottille) が引き継いだ。第3Sボート隊は「S154」、「S156」、「S158」で編成されていたが、10月25日のイギリス空軍によるシベニク空襲でデ・ハビランド モスキートによって「S154」は沈められ、「S156」も損傷させられて船団護衛任務に就けるのは1隻のみとなっていた。一方、この時第2護衛隊の作戦参加可能な艦艇も水雷艇「TA20」と駆潜艇「UJ202」、「UJ208」(元ガッビアーノ級コルベット「Melpómene」と「Spingarda」)のみであったおよび掃海艇「R187」のみであった。 また、燃料の問題で別々に出撃せざるを得なかった。駆潜艇は16時、「R187」はその1時間半後に、指揮官Friedrich-Wilhelm Thorwest少佐座乗の「TA20」は19時に出撃した。
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