トレント・リーチの戦い
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「バージニア2 (装甲艦)」の記事における「トレント・リーチの戦い」の解説
バージニア2の最後の戦いは、1865年1月23日から24日にかけてのトレント・リーチの戦い(Battle of Trent's Reach)であった。バージニア2、リッチモンドおよびフレデリックスバーグの3隻の装甲艦、5隻の小型木造艦から構成される南軍ジェームズ川艦隊は、北軍によるトレント・リーチの封鎖を破るため、2度目の試みを実施したが失敗した。信頼すべき情報によると、雪解けの増水による流路ができていた。衝突の危険を避けるため、砲艦と補給艦は装甲艦の右舷側に固定されていた。バージニア2は砲艦CSS ナンズモンドとCSS トーピドーを固定し、外装水雷艇CSS スコーピオンを曳航していた。午後8時過ぎにブレイディ要塞の北軍の砲台を通過した後、バージニア2はトーピドーに乗り上げてしまった。ナンズモンドの艦長はバージニア2から艦を切り離し、トーピドーの行動の自由を取り戻そうとした。艦隊はそのまま航行し、トレント・リーチの阻害物に到着した。 ここでまたバージニア2はトラブルが生じた。今回は座礁であった。小型艦が3時間にわたってバージニア2を離礁させようとした。2隻のみがバージニアを助けることができた。残りの艦艇は座礁するかあるいは座礁した艦を助ける必要があった。夜明けになって、艦隊のほぼ全艦艇が要塞から視認されると、川の水位が上がって動けるようになるまでパーソンズ砲台からの砲撃に苦しむこととなった。バージニアが離礁可能な水位になった直後に、北軍艦隊が到着し、さらに砲撃を加えてきた。この砲撃はバージニア2にとってはるかに危険であった。砲塔2基を備えるモニター艦であるUSS オノンダーガ(USS Onondaga)の砲弾はバージニア2の装甲を貫通することが可能であった。バージニア2および残りの艦隊は、北軍のダンツラー砲台の援護が得られる場所まで、川上に向かって撤退した。艦隊は夜になって再び封鎖を突破しようとしたが、北軍の兵士が大きな照明を設置して阻害物を照らしていた。このことと他の幾つかの要因のため、封鎖突破は諦めざるを得なかった。撤退にあたって、ハンプトンのスクリューがバージニア2のアンカーチェーンに絡まった。両艦は川上のブレイディ要塞からの激しい砲撃にさらされ、バージニア2は再び座礁したが、どうにかチャフィンズ・ブラフに撤退することが出来た。バージニアの損害は、戦死が少なくとも6名、戦傷がも名以上であった。また艦そのものも大きな損害を受け、大規模な修理が必要であった.。煙突は破壊され、エンジンは不調になり、装甲板およびそれを支える木製の基部も損傷していた。
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