デンソーサッカー部とFC刈谷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 12:55 UTC 版)
「刈谷市のスポーツ」の記事における「デンソーサッカー部とFC刈谷」の解説
1949年(昭和24年)に設立された日本電装サッカー部(現FC刈谷)は長らく東海社会人リーグに在籍していたが、1995年(平成7年)に地域リーグ全国決勝大会で優勝してジャパンフットボールリーグ(旧JFL、当時3部相当)に昇格した。日本電装からデンソーへの社名変更に伴ってデンソーサッカー部となり、2001年(平成13年)にはJFLで5位となって徳重隆明が得点王に輝く活躍を見せた。2002年(平成14年)には高山英樹が得点王に輝いたが、Jリーグ加盟を目指すクラブが増えたことで成績が低迷した。2005年(平成17年)末を持ってデンソーサッカー部は活動を中止したが、2006年(平成18年)には特定非営利活動法人かえるスポーツクラブによって運営される市民クラブに移行し、チーム名はFC刈谷に変更された。デンソーサッカー部のユニフォームは黄色が主体だったが、FC刈谷は赤色のたすきをあしらった白色のシャツ、紺色のパンツを着用しており、これは刈谷高校のデザインにちなんだユニフォームである。Jリーグ経験者の安原成泰、浮氣哲郎、アマラオなどが監督を務めたが、2009年(平成21年)には入れ替え戦でツエーゲン金沢に敗れて東海社会人リーグ1部(4部相当)降格が決定した。2008年(平成20年)のリーマン・ショック以後はスポンサー収入が減少して主力選手が退団するなどし、クラブ存続の危機に陥った。FC刈谷としてクラブチーム化した当初はJリーグ参入を目指しておらず、地域に密着した育成型クラブという理念を掲げていた。2012年度終了時点で天皇杯全日本サッカー選手権大会には14回出場している。しかし、2018年に新しいオーナーが就任して以降はJリーグ昇格を目標とするようになり、その後、2021年にJFLへ再昇格してからは「3年でのJリーグ参入・10年でのJ1昇格」という詳細な目標に掲げるようになった。
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