ツンデル裁判とロイヒター・レポート
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「ホロコースト否認」の記事における「ツンデル裁判とロイヒター・レポート」の解説
元カナダ居住者のエルンスト・ツンデルはサミスダット・パブリッシング (Samisdat Publishing) という出版社を運営し、リチャード・ヴァーラル(本名リチャード・ハーウッド) の著書『本当に600万人も死んだのか?(英語版)』 (Did Six Million Really Die?) といった書物を出版した。1985年、ツンデルは「ホロコーストを否定する書物を配布、出版した」として「虚偽の報道」罪で裁判にかけられ、オンタリオ州地方裁判所によって有罪宣告、15箇月の禁固刑を言い渡された。この事件は大きく注目され、多くの活動家が表現の自由を訴えて、ツンデルの表現の権利を擁護しようと介入し、1992年にカナダ最高裁判所が「虚偽の報道」法は憲法違反だと宣言し、彼の有罪判決は覆された。この裁判で1988年にツンデルが弁護側証拠として米国のフレッド・ロイヒター(en:Fred A. Leuchter)に依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。裁判でロイヒターが証言をしたものの、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされなかった。1995年5月20日にはツンデル自宅へ爆弾が届く。その後、ツンデルはウェブサイトを立ち上げて主張を宣伝した。このウェブサイトに対する告訴に対して、2002年1月、カナダ人権裁判所はカナダ人権法に違反しているとの判決を下した。2003年2月、アメリカ合衆国移民帰化局はテネシー州において移民法違反の容疑でツンデルを別件逮捕し、数日後カナダに身柄を送還した。そこでツンデルは難民認定を受けようとしたが、ツンデルは2005年1月まで拘留され、11月にドイツで起訴された。
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