チャンピオンソフト設立
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「チャンピオンソフト」の記事における「チャンピオンソフト設立」の解説
白木善喜はサラリーマンを勤めていたが、脱サラをしてゲーム制作への道を決意する。1983年(昭和58年)1月に株式会社チャンピオンソフトを設立し、自らが社長に就任し、制作も手がけた。設立当初、販売は「エヌ.ティ.エル産業株式会社」が行っていたが、後に「チャンピオンソフト販売株式会社」が行うことになる。設立当時、白木善喜が自ら制作したソフトを月1回のペースで発売していた。当時のチャンピオンソフトは全年齢対象ソフトの制作・販売が主であり、性表現を主とするゲームは『アタックひろこちゃん』などと少数であった。また、当時としては珍しく、商品広告に記載された人材募集欄には版権料や著作権使用料についての言及があった。ライターの佐々木潤は初期に発売されていたソフトの一つである「人生シミュレーションゲーム」シリーズの広告にある「1部上場企業で約20年間企画・スタッフ畑を歩んできた人生経験豊富な作者ならではの異色作」という売り文句にふれ、「初期の頃から作品の毛色が変わっているという自覚があったようだ。」と推測している。設立と同年にファミリーコンピュータが登場して全年齢対象ソフトの市場は家庭用ゲーム機に奪われることになる。これによりパソコンゲーム制作会社各社は選択を迫られることになった。 ドラゴンクエストシリーズで知られる『エニックス』、ファイナルファンタジーシリーズの『スクウェア』(共に現:スクウェア・エニックスの前身)などは、パソコンゲームから家庭用ゲームに事業を移していった。一方で、チャンピオンソフトは家庭用ゲームでは販売がされていない、アダルトゲームに絞って展開していくことでその復活を図った。
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