チャイコフスキーの庭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 04:47 UTC 版)
「チャイコフスキーの家博物館」の記事における「チャイコフスキーの庭」の解説
晩年のチャイコフスキーは自然、田舎の暮らし、そして自宅の庭に強く魅かれていた。彼がナジェジダ・フォン・メックに宛てた書簡にはこう書かれている。「老年へと近づいていくほどに、自然の傍に居られることへの私の喜びはより快いものとなっていきます。春の美しさ、芽吹く草木、巣へと帰る鳥たち - つまりはロシアの春、実のところ地球上で最も美しく陽気なこの春がもたらす全てのものに、これほどまでに耽ったことは以前には一度もなかったのですから。」 また、次のようにも書いている。「田舎暮らしに勝る、よりよい生き方を提示することなど不可能です。新たにモスクワへ行く旅があるごとに、私は都市での生活がいかに自分を滅ぼすのかをますます強く思い知らされます。毎度ここへ帰り着く頃には完全に体調を崩しているのに、私の静かな居場所の中ではたちどころに治ってしまうのです。」 彼の庭はきれいに整ったものではなかったが、曲がりくねった小道に加えて家からずっといった奥にはガゼボを備え、さながら理想を具現化した森であった。チャイコフスキーは花、とりわけ地面に生える野生の花と日々の散歩で目にする森を愛でていた。特に好んだのがスズランで、自らスズランの詩を書きさえもした。兄の死後、弟のモデストは庭の中で低くなった場所にチャイコフスキーが称えたスミレ、ワスレナグサ、ブルーベルとともにスズランをまとめて植えた。現在の庭にはチャイコフスキーの頃にはなかった多くの花が植わっている。バラ、ベゴニア、アラセイトウ、フロックス、シュッコンタバコなどである。
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