ダラーウィーシュ国の始まりとは? わかりやすく解説

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ダラーウィーシュ国の始まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 08:44 UTC 版)

サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン」の記事における「ダラーウィーシュ国の始まり」の解説

詳細は「w:Dervish State」を参照 ムハンマド演説や詩の中で、キリスト教徒イスラーム教文化破壊しソマリ族の子供たちをキリスト教化しているとして批判したまた、キリスト教国のエチオピアイギリス同盟ソマリアにとって脅威だと述べイスラーム危機キリスト教徒侵略者から守るのが最優先事項である、これはジハードであり、問題ソマリ族一致団結ていないことであり、共に戦わないのは不信心者だ、と論じたムハンマドブルコ拠点イギリスからの独立国内統一表明しトルコスーダンから武器手に入れソマリア各地賛同者ダラーウィーシュ国役人任じたムハンマド軍組織整備しイスラーム修行僧ダルヴィーシュ倣って清貧重視し、自らの国もダラーウィーシュ(Daraawiish)と名付けた。その性格はサーリヒーヤ団の組織基礎とした厳正な階級制中央集権国家だった。 ムハンマドキリスト教徒を海に追い落とすことを宣言し、まずは自分らの住む地域駐留しているイギリス兵に対しライフル20丁で武装した1500人の兵で攻撃した。さらにソマリア中のソマリ族使者送って参加呼びかけイエメンにも使者送って協力要請した1900年エチオピアから派遣され一団は、ムハンマド生死問わず逮捕するよう命を受け、その一環としてオガデン族のマハメド・スベール (Maxamed-Subeer) からラクダ多数略奪した。スベールから救援要請受けたムハンマド3月4日エチオピア一団ジジガ (Jijiga) (現エチオピア国内)で攻撃し略奪されラクダ全て奪い返した。この戦い勝利ムハンマド自信与え周囲評判上がった6月になると、ムハンマドイギリス協力関係にあったソマリ族イサック支族一派襲撃しラクダ2000頭を略奪した。これらの戦い勝利ムハンマドオガデン族の間での評判高まったムハンマドオガデン族の有力な族長の娘結婚し、さらに妹トーヒャー・シャイハ・アドビルをオガデン族マハメド・スベール族 (Maxamed-Subeer) の有力者アブディ・モハメド・ワーレ(Abdi Mohammed Waale)に嫁がせた。 ところが、ムハンマド独裁的なやり方に不満を持つマハメド・スベールの族長フッセン・ヒルシ・ダラ・イルジェッハ(Hussen Hirsi Dala Iljech')がムハンマドらを襲いダラーウィーシュ国首相であり友人のアウ・アッバス(Aw 'Abbas)が殺害されムハンマド逃亡した。数週間後、マハメド・スベール族は和解するために使者32人を送ったが、ムハンマドはこれを逮捕して全員処刑した。これに驚いたマハメド・スベール族がエチオピア援助要請したため、ムハンマドらは根拠地イギリス領ソマリランド東部のヌガール (Nugaal) に移した

※この「ダラーウィーシュ国の始まり」の解説は、「サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン」の解説の一部です。
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