タシ治世期の活動とは? わかりやすく解説

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タシ治世期の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/24 15:34 UTC 版)

シッキム国民党」の記事における「タシ治世期の活動」の解説

SNPは1948年にギャルツェン・ツェリン(Gyaltsen Tsering)、ソナム・ツェリン(Sonam Tsering)を指導者として成立した。SNPは、シッキム原住民支配階層ながら少数派であるブティア・レプチャ系住民中心として構成されシッキム独立シッキム王室(ナムゲル王朝擁護姿勢掲げたこの前年(1947年)には、移住民ながら多数派であるネパール住民中心に構成されシッキムインドへの編入民主主義制度導入地主廃止などを主張したシッキム国家会議派SSC)がシッキム初の政党として結成されていた。インド独立直後シッキム国際的地位不透明な中、SNPとSSCの両党は真っ向から対立することになる。 1950年にインド・シッキム条約結ばれシッキム事実上インド保護国位置づけられることになった。しかし当時国王であるタシ・ナムゲルは、シッキム安定志向してインド政府との連携重視しインドタシ・ナムゲル時代SSCよりもシッキム王室支持した。そのためSNPもシッキム王室加えインド支持する姿勢をとるようになる1953年シッキム王国参事院State Council立法府に相当)の第1回選挙実施され、SNPもこれに参加した当初参事院は「ブティア・レプチャ系」と「ネパール系」の双方コミュニティ平等に扱う(6議席ずつ分配)コミュナル選挙制度採用しており、しかも国王指名議員5議席もあった。そのため、SNPにとってはかなり有利な制度であったと言える第1回参事院選挙では、SNPは「ブティア・レプチャ系」の6議席確保SSCは「ネパール系」の6議席確保する結果終わった1958年第2回参事院選挙選挙議席14)ではSNPは6議席獲得し、8議席獲得SSCに次ぐ第2党となる。

※この「タシ治世期の活動」の解説は、「シッキム国民党」の解説の一部です。
「タシ治世期の活動」を含む「シッキム国民党」の記事については、「シッキム国民党」の概要を参照ください。

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