ゾービへの非難、殺害予告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 10:01 UTC 版)
「ハニーン・ゾービ」の記事における「ゾービへの非難、殺害予告」の解説
2010年5月31日、トルコからガザ地区への人道支援のため向かう客船にゾービは搭乗した。そして、ガザへ向かっている途中にイスラエル軍の特殊部隊が客船を急襲し、多数の死傷者が出た。また、ゾービが客船に搭乗していた事が判明し、イスラエル国内に激震が走った。ゾービは事件後クネセトでイスラエル軍を「海賊」などと非難した。しかし、これにリクード所属のユダヤ人女性議員であるミリ・レゲヴから、「ガザに去りなさい。この国賊!」などと手厳しい非難を浴びせられ、また、クネセト内の四方八方からゾービへの罵声が飛び交うなど、大荒れとなった。 事件後、事態を重く見たイスラエルのエリ・イシャイ内務大臣は、「国家への反逆」として、司法長官にゾービの議員特権およびイスラエル市民権を剥奪するよう要請した。 ゾービは自宅軟禁に置かれたが、5日後に150000シェケルを支払い解放された。しかし、彼女のもとには無数の殺害予告が送りつけられており、ゾービを保護するために2人の警護員が付くこととなった。 また、Facebookには「ゾービを処刑せよ」という題名のグループが立ち上げられた。参加メンバーは2010年6月23日現在10000人に達している。メンバーの一人が「ゾービを殺害した人間に報奨金を手渡す」と書き込んだことで逮捕された。 クネセト内の調査委員会では、7対1の賛成多数でゾービの議員特権を剥奪することを議決したが、クネセト議長であるルーベン・リブリンはこれを認めず、議員特権剥奪を阻止しようとした。このことは右派から激しい批判を受けたが、「イスラエルの民主主義を守った」と擁護する声もあった。しかし、最終的に、主に極右議員ミハエル・ベン=アリなどが発案した議員特権剥奪決議を34対16の賛成多数で可決、パスポート所持の禁止など、ゾービのいくつかの議員特権が剥奪された。ベン=アリはゾービを「テロリスト」などと激しく非難、リクードのヤリフ・レヴィン議員はゾービに「あなたのクネセトでの居場所は無い。あなたはイスラエルの身分証明書を持つ権利は無い。あなたはイスラエル、クネセト、アラブ人コミュニティ、そしてあなたの一部の家族の恥だ」と厳しく批判したが、ゾービは気丈に「私はパレスチナ人の女性であり、私は世界中の大切な自由、平等、そして正義を信じる」「私は(パレスチナの)占領、封鎖、抑圧に反対する」と述べた。 また、クネセトで記者のインタビューを受けている最中に、イスラエル国内では著名なカハニスト(カハネ主義者)・入植者であるバールーフ・マーゼルとイタマル・ベン=グヴィル(二人ともミハエル・ベン=アリと深い友好関係にある)に絡まれ、口論になったことがある。 2012年2月19日にヘブロンを訪れた際、入植者らしき男から「テロリスト!」などと執拗に絡まれ、ボディーガードと同行していたゾービは苦笑していた。 2012年3月11日には、バールーフ・マーゼルが多くの仲間を引き連れてゾービの自宅前に押しかけてデモをする予定であったが、暴力沙汰に発展することを懸念したイスラエル警察の取り計らいにより、ひとまずデモは延期された。
※この「ゾービへの非難、殺害予告」の解説は、「ハニーン・ゾービ」の解説の一部です。
「ゾービへの非難、殺害予告」を含む「ハニーン・ゾービ」の記事については、「ハニーン・ゾービ」の概要を参照ください。
- ゾービへの非難、殺害予告のページへのリンク