ソロとしての活動へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/07 18:22 UTC 版)
「ロジャー・ウォーターズ」の記事における「ソロとしての活動へ」の解説
ピンク・フロイド在籍時の1970年、アルバム『肉体(ボディ)』を発表している。時折ウォーターズのソロ・デビュー作として紹介されるが、正確にはロン・ギーシン(イギリスの前衛音楽家)のアルバムにウォーターズがゲスト参加したもの。ちなみに、ピンク・フロイドの他メンバー3人も1曲だけ参加している。 アルバム『ザ・ウォール』の構想を練っていた1978年にギルモアとライトの2人はソロ・デビューを果たしているが、ウォーターズはバンドの楽曲制作に専念していたこともあり、自身のソロ活動は1984年になってから本格的に始まった。 その1984年、1stアルバム『ヒッチハイクの賛否両論』を発表。ゲストにはエリック・クラプトンやメル・コリンズという豪華メンバーが招かれた。主人公の見ている夢を同時進行で追っていくという内容のコンセプト・アルバムになっている。アルバム発売後のツアーでも、途中までクラプトンがギタリストとして参加していた。 1985年末、ウォーターズは「フロイドでやれることはすべてやり尽くした」としてバンドを正式に脱退する。当初はバンド自体の活動停止を目論んでいたが、レコード会社や他のメンバーから同意を得られず、デヴィッド・ギルモアを中心にした新生ピンク・フロイドが動き始めると、ウォーターズはこれに激怒し、訴訟沙汰にまで発展した。最終的にウォーターズを除いたピンク・フロイド名義のアルバム収益の一部を、ウォーターズも受け取るという形の和解に終わった。結局、ピンク・フロイドからウォーターズが脱退し、ウォーターズ抜きの新生ピンク・フロイドが存続するという結果になった。 1986年にはレイモンド・ブリッグズ原作のアニメ映画『風が吹くとき』のサウンド・トラック盤を手掛ける。ウォーターズの他にも、デヴィッド・ボウイ、ジェネシス、スクイーズらが参加した。
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