セヴァストポリの戦い
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セヴァストポリの戦い
一覧
- セバストポリスの戦い(692年) 東ローマ帝国とウマイヤ朝の間で行われた。
- セヴァストポリ包囲戦 (1854年-1855年) クリミア戦争中に英仏土連合軍とロシアの間で行われた。
- セヴァストポリ包囲戦 (1941年-1942年) 第二次世界大戦中のソ連とドイツの間で行われた。
関連項目
セヴァストポリの戦い
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「第11軍 (ドイツ軍)」の記事における「セヴァストポリの戦い」の解説
詳細は「セヴァストポリ包囲戦 (1941年-1942年)」を参照 第11軍は1941年夏から1942年までゼヴァストポリ要塞を包囲した。南方軍集団はブラウ作戦のためにスターリングラード方面へ進撃したが。第11軍はセヴァストポリ攻撃のために、作戦には参加しなかった。 第11軍はソビエト赤軍の補給路となっている海岸より、包囲した部隊を切り離し、その結果、セヴァストポリ要塞は陥落、ソビエト赤軍将兵100,000名を捕虜とした。この戦いの功績を認められ、マンシュタインは元帥に昇進、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーも第11軍の功績からクリミア盾形名誉章を与えた。 その後、マンシュタインは第11軍をケルチ海峡から進撃させ、クバン川へ展開し、ロストフ・ナ・ドヌ占領の支援を行うか、南方軍集団の予備とするよう提案したが、第11軍に所属した大型攻城砲は北方軍集団へ配置転換、後にレニングラード攻略の為に、マンシュタインらも北方軍集団へ配置転換された。 第11軍の残存部隊は中央軍集団、南方軍集団内でそれぞれ統合され、1942年11月21日、第11軍司令部は新設されたドン軍集団司令部へ改組されることとなった。
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