ズワルトピート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 05:27 UTC 版)
ズワルトピート(オランダ語: Zwarte Piet、「黒いピート」の意味、複数形は Zwarte Pieten ズワルトピーテン)はシンタクラースの侍従で、16世紀の貴族の衣装に基づく服を着ている。しばしばレースの襟と羽飾りのついた帽子で飾り立てている。ズワルトピートが発生したのは18世紀のことである。初めて印刷物に現れたのは、1850年にアムステルダムの教師ヤン・スケンクマンが発行した Sint-Nikolaas en zijn knecht (『聖ニコラスとその従者』)の中で聖ニコラスの名無しの従者として出てきたものである。しかし、ズワルトピートの伝統は少なくとも19世紀の初頭にまでさかのぼることが出来る。 ヘレーン・アデリーン・ガーバーらによると、シンタクラースとその助手の起源はオーディンのワイルドハントに関連するところがあるという。この説は憶測に過ぎないため、この「ゲルマン起源」説は現在の研究者にはほとんど支持されていないのだが、学術的でない資料ではよく言及される。それを別にしても、聖ニコラスの伝統は明らかに非キリスト教に起源のある要素を多く含んでいる。 シンタクラースとズワルトピートは典型的には、良い子に与えるお菓子の入った袋と、悪い子を叩くための白樺の棒と煙突ブラシを持っている。古いシンタクラースの歌の中では、悪い子は袋に詰められスペインへ連れていかれるとするものもある。こうした話は、クランプスやペレ・フェッタールのような、他の聖ニコラスの従者とも共通する 。 伝統的にズワルトピートはスペインから来たムーア人だから顔が黒いのだといわれる。今日では、煙突をくぐってススが付いたから黒いのだという説明のほうが好まれる。ズワルトピートの外見が人種差別だと受け止められることがある。この例のように、シンタクラースの祝日をめぐる伝統は、数多くの論評、批評、議論、ドキュメンタリー、抗議、ときには祭りの中での暴力的衝突の種にすらなった。とはいえ、ズワルトピートとシンタクラースの祭りは、今日でもオランダでは支持が厚い。2013年の世論調査では、オランダ人の92%がズワルトピートを人種差別または奴隷制度と関連があるとは考えないとし、また91%がズワルトピートの見た目を変更することに反対と答えた。
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