スーシティ空軍州兵基地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:09 UTC 版)
「スー・ゲートウェイ空港」の記事における「スーシティ空軍州兵基地」の解説
1945年12月、任務完了に伴いスーシティ陸軍航空基地は閉鎖されたものの、翌1946年9月に空軍予備役の基地として飛行場が再開された。スーシティ航空基地は、戦後開設された最初の空軍予備役基地の一つとなった。陸軍航空軍を前身としてアイオワ空軍州兵(英語版)に第174飛行隊が編成され、1946年5月にスーシティに配属された。同年12月、連邦政府の承認を得て同飛行隊は拡張され、P-51戦闘機が配備された。空軍州兵部隊の配置に伴い、スーシティ航空基地はスーシティ空軍州兵基地(英語版)に改称した。 1948年、スーシティは戦時資産管理事務局(英語版)から飛行場の権利放棄証書を受領した。そして同時に、アイオワ州兵が飛行場を共用できるリース契約が締結された。その後1970年に、スーシティはアメリカ連邦政府と最終的な譲渡証書を交わし、アメリカ軍所有の施設や設備の所有権が市に移った。 1949年、第174飛行隊のジェット機への転換が始まり、スーシティ航空基地にF-84戦闘機が配備された。その後朝鮮戦争による軍務招集や、数度の機種更新や部隊改編などを経て、1962年10月には第185戦術戦闘群に改組された。この改組で組織の人員は2倍近くに増え、800人の将校と飛行士を擁するようになった。この頃、同部隊ではF-100戦闘機が運用されていた。
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