スロベニア地域の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 01:59 UTC 版)
「スロベニアの歴史」の記事における「スロベニア地域の発展」の解説
1919年、リュブリャナで大学が開設されたスロベニアにおいては国立博物館 (en) 、国立美術館 (en) 、国立劇場 (en) がそれぞれ設立された。さらに1928年にはラジオ・リュブリャナ (en) が開設され、1938年には芸術科学アカデミーが設立、ハプスブルク時代から続いた文化面での発展が続いていた。さらに小学校、中学校ではセルビア・クロアチア語で教育が行われ、1939年の時点でユーゴスラビア全体の識字率が60%と推測されるのに対してスロベニアでは92%にまで及んでいた。 経済面でもスロベニアは発展を遂げていた。1919年より始められ土地改革によりドイツ人やハンガリー人の地主が追放、それらの土地が元兵士らに与えられるなどして小規模地主らが生まれた。この小規模地主らは強力な協同組合を組織化した。さらにスロベニア人民党が中央政府と協力したことにより、スロベニア農民らは他の地域と比べるとかなり有利な農業借入金制度が適用された。このため、スロベニアにおける商品として牛乳や砂糖、ジャガイモ、木材がユーゴスラビア全土で販売される事となった。1930年代の世界恐慌時にはスロベニア人の一部がアメリカに移民するなどしたが、第一次世界大戦直前でユーゴスラビア全体の農業人口75%に対してスロベニアは55%であった。 さらにスロベニアでは工業化がハプスブルク時代より進んでいたが、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国成立以降、急速に発展することとなり、中心地リュブリャナは重要拠点と化した。スロベニアでは元々、農産食品関係、繊維関係での工業化が進んでいたが、さらに鉄、非鉄金属分野、科学製品分野、そしてスロベニア全土で生産されていたホップを利用したビール工場も発達することとなった。トルボヴリェでは石炭採掘、ツェリェでは化学製品、マリボルはスロベニア第二の工業地帯として発展、繊維、金属、化学製品、紙がユーゴスラビア全体に行き渡ることとなる。
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