スロベニア前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 06:54 UTC 版)
「日本とスロベニアの関係」の記事における「スロベニア前史」の解説
6世紀ごろ、南スラブ人が定住する。 14世紀ごろ、神聖ローマ帝国に組み込まれカトリック教会の影響を強く受ける。これにより他のスラブ圏とは異なる文化が形成され、スロベニアの下地となる。 15世紀にはハプスブルク家の所領となり、オーストリア公国、オーストリア大公国、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国へと移り変わっていく。 第一次世界大戦敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国解体。セルビア主導の汎スラブ主義に基づき、スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国に参加。のちにユーゴスラビアに発展解消。 チトーの死後、1991年にスロベニアはユーゴスラビアから離脱。ユーゴスラビア紛争の嚆矢となる。
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