スポーツとの違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 01:13 UTC 版)
西洋スポーツとの形式的な違いとしては、#定義においても述べたが、競技を本旨としていない点が挙げられる。この点については、古くから賛否両論であった。古武道の形稽古を主軸とした自由度・応用性に欠ける修行形式は、形骸化しやすく、使い手によっては無用の長物ともなり得る危険性がある。しかしその一方では、他者と優劣を競うことを修行の本旨としなかったからこそ、芸術分野や宗教観念と密接に繋がり、洗練され、「武芸」「武道」と称されるまでにその価値を高めたとも言える。 もちろん古武道には、騎射三物、通し矢、他流試合、竹刀稽古、乱取りなど、古くから競技形式の修行方法も存在したが、あくまでも競技とは無縁な形稽古を前提とした上での修行であった。ただし、竹刀稽古や乱取りは、当初は形稽古の補完的役割であったものの、後に主客が逆転し、そして現代武道へと推移していったことは、先に述べた通りである。 現代武道は、徐々に各種目がオリンピック競技に追加されていくなど、競技偏重になったことで本格的なスポーツ化が囁かれている。形稽古は未だ多くの種目で基礎となっているが、それまでもが競技のうちに取り込まれており(演武による試合)、その偏重性がうかがえる。なお大日本武徳会時代の武道は、指導者が皆、古武道諸流派を修めていたため、未だ競技化に対して否定的な意見が大半を占めており、流派という概念が消失したといえども、古武道との違いはさほどなかった。
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