スペイン製作のハリウッド映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:22 UTC 版)
「北京の55日」の記事における「スペイン製作のハリウッド映画」の解説
この映画の舞台は中国・北京で撮影地はスペイン・マドリード。製作者・監督・主演はアメリカ人。当時は東西対立で中国とは冷戦状態であったので現地でのロケが難しく、本来はハリウッドで製作されてもいい映画であった。しかし1960年前後からアメリカ映画でありながらアメリカ国内で撮影されない映画が増えてきていた。『ベン・ハー』はイタリアのチネチッタで行われて、『スパルタカス』はスペインで撮影されている。そしてアメリカのプロデューサーであったサミュエル・ブロンストンがスペインに本拠を置き、ニコラス・レイ監督の『キング・オブ・キングス』『北京の55日』、アンソニー・マン監督の『エル・シド』『ローマ帝国の滅亡』の歴史物の超大作を70ミリ映画としてスペインで撮影している。 この理由は映画製作にかかるコストが高くなり、ハリウッドでの撮影でなくイタリアやスペインでの撮影で経費を節減することにあった。また当時のスペインはフランコ政権の時代でフランコ自身が映画好きで撮影にスペイン陸軍の兵士を無償でエキストラに使うことが出来たことによる。デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』も一部がスペインで、そして『ドクトル・ジバゴ』は全編がスペインで撮影された。 しかし、50年代のスクリーンの大型化から始まった歴史物の超大作の製作は、この『北京の55日』以降70ミリ映画の価値が薄れて、余りヒットせず、サミュエル・ブロンストンの倒産と合わせるかのように大作主義が影をひそめていった。またここで活躍した映画監督もその後映画製作に関わることが少なくなった。 『北京の55日』はまだ70ミリ映画というだけで客が入りヒットする時代の最後の作品であった。そしてハリウッドがもはや映画を撮影する所ではなく、映画会社の本部があるという意味での映画産業の中心地に変わっていった。
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