スパイとしてのデオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 09:02 UTC 版)
「シュヴァリエ・デオン」の記事における「スパイとしてのデオン」の解説
1756年、デオンはルイ15世の私的スパイ機関『ル・スクレ・デュ・ロワ』に加わった。彼は国王から女帝エリザヴェータに謁見し、ハプスブルクと対立する親フランス派と接触するという秘密指令を受けた。のちに彼はリア・ド・ボーモンという女性になりすまし、女帝付きの女官となったと主張している。デオンのロシアでの経歴はValentin Pikul(en)の小説の主題の一つである。 1761年、デオンはフランスへ帰国した。翌年彼はド・ブロイ元帥の指揮する竜騎兵の隊長となり七年戦争の後期を戦った。彼は負傷して聖ルイ十字勲章を授けられ、『シュヴァリエ』(騎士、の意)となった。 1763年、デオンはロンドンで特命全権大使となり、国王のスパイとして活動した。彼は潜在的な侵略のために情報を収集した。彼は自身の所有するブドウ園でできたトネールのワインをイギリス国務次官ウッドなどイングランド貴族に贈って彼らとのつながりをつくった。特命全権大使の地位を失いそうになったとき、彼は不服を申し立て、最終的に帰国命令に従わないことに決めた。彼は王へ手紙を送り、新任の大使が彼に薬を盛ろうとしたと訴えた。ロンドンにおける自身の外交的なポストの保全に乗り出した彼は、1764年に自身の召還についての秘密外交文書を『書簡、手記、そして交渉(Lettres, mémoires, et négociations)』というタイトルで出版した。 1766年、ルイ15世は彼の願いを聞き届け、彼の働きに対し年金として年1万2千リーヴルを与えた。デオンはスパイに復帰したが、ロンドンに政治亡命したままだった。
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