スティーヴィー・ニックスとロビン・スナイダー・アンダーソン
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「愛のジプシー」の記事における「スティーヴィー・ニックスとロビン・スナイダー・アンダーソン」の解説
スティーヴィー・ニックスはアリゾナ州フェニックスに生まれた。食品会社の重役だった父親の仕事の関係で、一家は様々な都市に住んだ。10代のとき、ロサンゼルス郊外のアルカディアに移り、アルカディア高校に進学。ここでニックスはロビン・スナイダーと出会い、二人はすぐに意気投合した。美貌に恵まれたスナイダーの活動は歌や演劇、ダンスなど多岐にわたり、非常に目立つ存在であったが、彼女とニックスの間に結ばれた特別な絆を知る者は少なかったという。 14歳のときからずっとロビンは私の人生の一部だった。あの有名な "スティーヴィー" ではなく、私が本当はどんな人間かを知る人だった。両親以外に本当の自分を知っている人がいるというのは幸せなことね。彼女はほとんど私とともに人生を歩んだようなもの。ロビンはまた私の「言語療法士」でもあった。声が出なくてまるっきりあきらめかけてたときにフリートウッド・マックのツアーに同行して、多大なる忍耐と愛をもって私の声を救ってくれた。そもそも私が最初に書いた歌を聴いてくれたのは彼女だし、私に歌い方や声の使い方を教えてくれたのも彼女だった。 前述のとおり、1981年7月にファースト・アルバム『麗しのベラ・ドンナ』を発表した頃、スナイダーから電話が入り、白血病にかかり余命幾ばくもないことを知らされる。『麗しのベラ・ドンナ』は同年9月にビルボードのアルバム・チャートの首位を記録。プラチナディスクを獲得するが、喜びの気持ちはまったくわかなかったという。 ロビン・スナイダー・アンダーソンは妊娠しており、男の子を早産した2日後の1982年10月5日、息を引き取った。そのときニックスはグループでツアーに出ていた。ニックスはそれから3か月後、スナイダーの夫のキム・アンダーソンと結婚したが、3か月後に離婚した。 私は気が狂いそうだった。頭がどうかなりそうだった。彼女の夫もそうだった。悲しみの深さを理解するのは私たち二人だけだった。私は赤ん坊の面倒を見ることに決め、「わからないけれど、私たちは結婚するべきだと思う」とキムに言った。彼女が死んでから3か月後に私たちは結婚したけれど、それはひどい、ひどい誤りだった。愛していたから結婚したのではなく、悲しみに暮れていたがゆえに結婚した。それが何かをしていると思わせてくれるただ一つの道だった。そして3か月後私たちは離婚した。
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