スティーブン・エスピノサの時代
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「アメリカ合衆国のボクシング中継」の記事における「スティーブン・エスピノサの時代」の解説
上述の通り、2011年の終わりにはケン・ハーシュマンがHBOスポーツ社長に就任し、その後任としてShowtimeスポーツの副社長およびゼネラルマネージャーにはゴールデンボーイ・プロモーションズの元顧問弁護士スティーブン・エスピノサがおさまった。ボクシング中継の予算減少は主要なケーブルテレビ局の懸案事項となっていたが、Showtimeは2012年に経費を拡大し、3試合、4試合をメインに据えることも始め、アンダーカードや国内で中継されなかった国外のカードはShowtime・エクストリーム (Showtime Extreme, SHO Extreme) チャンネルで放送するようになった。2013年には上述のように、フロイド・メイウェザー・ジュニアのPPVでHBOを圧倒。メイウェザー同様にHBOからShowtimeへ移ったエイドリアン・ブローナーのポール・マリナッジ戦およびマルコス・マイダナ戦の視聴者数はいずれも、Showtimeの年間最高となる130万人に上った。この年、『チャンピオンシップ・ボクシング』の視聴率は2011年から59パーセント、2012年からは21パーセント伸び、Showtimeはスポーツ番組を手掛けるようになってから最大の年を迎えた。Showtimeで視聴者数が100万人を超えた試合は2012年には2試合だけだったが、2013年には4試合に増えていた。 2013年のShowtimeのゴールデンボーイ・プロモーションズとの関係は1990年代のドン・キング・プロダクションとの関係に似ていたが、ドン・キングの時代と違って、PPV料金を課すことなく好カードを提供した。ボクシング記者のジェイク・ドノバンは、中継の度にファンの意向をより反映していたのはHBOよりShowtimeのほうだったとしている。同年、他局が世界各国から中継する中で、Showtimeは国内からの中継に狙いを定めていた。主な開催地となったのはブルックリン、サンアントニオ、ロサンゼルスで、ダニー・ガルシアはブルックリンのバークレイズ・センターで名を上げ、サンアントニオからはそれぞれ3試合と4試合をメインとした2つの好カードが中継された。その一方で、この年の『ショウボックス』は主にメイウェザー・プロモーションズとアル・ヘイモンの携わる試合を中継したが、エグゼクティブ・プロデューサーを務めるゴードン・ホールの、若手選手に手ごわい相手と対戦させて将来に向けて経験を積ませるという意向に反したものとなった。 Showtimeの中継風景 2007年10月、マディソン・スクエア・ガーデンで行われたサミュエル・ピーター(左)対ジャミール・マクライン戦の様子。左にShowtimeのカメラクルーおよび各社カメラマン、手前は報道関係者席。 同興行においてリングサイドで実況中継をするジム・グレイ(右下)。リング上にはアナウンスに備えるジミー・レノン・ジュニアやドン・キングら。 2010年11月、ヘルシンキのハートウォールアリーナから衛星中継された『スーパー・シックス ワールド・ボクシング・クラシック』準々決勝で、カール・フロッチと対戦する前のアルツール・アブラハム(中央左)とリングアナウンスをするジミー・レノン・ジュニア(左)。
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