スターケンバーグ
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「タトラ (自動車)」の記事における「スターケンバーグ」の解説
タトラとは無関係のオランダ人技術者ジョン・ジャーダ(John Tjaarda 本名 Joop Tjaarda van Starkenberg, 1897年 - 1962年)は、1920年代にアメリカに移り住んだ。彼は、デ・トマソ・パンテーラなどのデザインを手がけたことで知られるトム・ジャーダ(Tom Tjaarda 本名 Stevens Thompson Tjaarda van Starkenberg トム・チャーダとも。1934年-)の父親である。 ジョン・ジャーダはアメリカで、ヤーライ理論の流れを汲む流線型リアエンジン乗用車の開発を志した。タトラを初めとする各国のヤーライ形試作車は、小型車が市場の多数を占めるヨーロッパで開発されていた故にほとんどが小型車だったのであるが、ジャーダはアメリカ市場に合致した、V型8気筒エンジンを搭載する大型リアエンジン車を発案した。 1931年にジャーダが公開した試作車「スターケンバーグ(Sterkenburg)」は、ヤーライ形流線型ボディの後端に空冷V型8気筒エンジンを搭載する大型車であった。このボディは強固なプラットフォームフレームにスポット溶接され、エンジンルームと客室との遮音・遮熱措置が図られていた。 このスターケンバーグの流線型デザインのコンセプトは、フォード社系列のボディメーカーであるブリッグス(Briggs)社の社主ウォルター・ブリッグスの関心を惹き、ジャーダはブリッグスに入社して同社で研究が続けられた。 そのスタイルやコンセプトが、驚くほどのちのタトラT77・T87に酷似している。当時、レドヴィンカの親族がアメリカでブリッグス社に在籍していたという史実があり、ここからスターケンバーグがハンス・レドヴィンカに影響を与えた可能性の高いことが、複数の専門家によって指摘されている。 なお、スターケンバーグのコンセプトに興味を抱いたフォード社社長エドセル・フォードの意向によって、ジャーダの流線型リアエンジン車はフォードの試作モデルとなった。そして、元ヨット設計者で、エドセル・フォードの部下であったボブ・グレゴリー(Eugene T."Bob" Gregorie, 1908年-2002年)によってフロントエンジンタイプにリ・デザインされ、更に洗練を加えられた。 結果生み出されたのが、大衆に受け入れられた史上初の流線型車と言われる傑作車「リンカーン・ゼファー」(Lincoln-Zephyr, 1935年-)である。
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