スカリーとの対立と失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:47 UTC 版)
「スティーブ・ジョブズ」の記事における「スカリーとの対立と失脚」の解説
ジョブズと対立し、関係が悪化していたスコットが、1981年マークラに解雇された。ジョブズはスコットの後任としてマーケティングに優れた人物を連れてくる必要に迫られ、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーに白羽の矢を立て、引き抜き工作を行った。このとき、スカリーを口説くためにジョブズが用いた「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか?それとも世界を変えたいか?」(英: Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)というフレーズは有名になった。ジョブズの熱烈な説得もあり、1983年、ジョン・スカリーがAppleの社長の座に就いた。当時は、ジョブズとスカリーは、強力なパートナーシップのために「ダイナミック・デュオ」と呼ばれ、Appleの経営を押し進めた。 1984年後半、ジョブズはMacintoshの需要予測を大幅に誤り、Appleは過剰在庫に悩まされ、初めての赤字を計上してしまった。業績の悪化により、Appleは従業員の5分の1にあたる人数のレイオフ(人員削減)を余儀なくされた。スカリーはジョブズがAppleの経営を混乱させていると考えるようになり、1985年4月にはジョブズをMacintosh部門主任および副社長 (Executive VP)としての地位から解任することを取締役会に要求し、全会一致の承認を得た。この動きを察知したジョブズは、スカリーの中国出張中にスカリーを追放することを画策するが、Appleのフランス法人トップであったジャン=ルイ・ガセーの密告により、スカリーはジョブズが自分を会社から追い出そうとしていることを知った。1985年5月24日、スカリーは出張をキャンセルして緊急の重役会議を開き、その場でジョブズに自分の追放を画策したことについて問いただしたが、ジョブズはスカリーが会社にとって有害な存在であると述べて反撃した。これを受けてスカリーは、出席した重役に自分とジョブズのどちらを支持するのかを順番に質問したが、その場にいたAppleの重役は全員がスカリーを支持すると述べた。その後取締役会もスカリーへの支持を表明し、ジョブズは5月31日に全ての業務から解任され、代わりに実権を持たない名目上の会長職を与えられた。
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