シリア領内への強行偵察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/04 18:30 UTC 版)
「9月13日の航空戦 (1973年)」の記事における「シリア領内への強行偵察」の解説
1967年に勃発した第三次中東戦争でイスラエルに敗北を喫したシリアは、ソビエト連邦の援助によって軍の再建を進め、1973年までの6年間でイスラエルを凌駕するまでに成長していた。1972年5月にソビエト連邦との安全保障協定が締結されると、1973年5月からMiG-21戦闘機や2K12(NATOコードネーム SA-6"ゲインフル")自走地対空ミサイルを含む大量の武器供与が行われ、最新型のS-125(NATOコードネーム SA-3"ゴア")もソビエト連邦で教育を受けて帰国したシリア軍人によって運用段階に入っており、同年9月10日にエジプトのカイロで開催されたアラブ首脳会後、ゴラン高原寄りの地域に正面50キロメートル、縦深30キロメートルの防空コンプレックスを展開した。 イスラエル軍は1973年春期以降、航空偵察によって前線のシリア軍の行動把握をしており、9月13日も4機のRF-4偵察機が偵察任務のため地中海方向からシリア本土へ接近し、ホムス、ハマー、ラタキアなどの飛行場や施設の偵察を行っていた。シリア空軍のMiG-21戦闘機がスクランブル発進すると、RF-4偵察機は反転し、低空飛行で地中海西方に離脱した。 離脱するRF-4偵察機を支援するため、イスラエル空軍はシリア沖に戦闘機部隊を展開させており、ラタキア沖にイフタク・スペクター(英語版)率いる第107飛行隊のF-4E戦闘機、ベイルート沖に第117飛行隊のミラージュIII戦闘機、ロッシュ・ハニクラ(英語版)沖に第101飛行隊のミラージュIII戦闘機が待機していた。
※この「シリア領内への強行偵察」の解説は、「9月13日の航空戦 (1973年)」の解説の一部です。
「シリア領内への強行偵察」を含む「9月13日の航空戦 (1973年)」の記事については、「9月13日の航空戦 (1973年)」の概要を参照ください。
- シリア領内への強行偵察のページへのリンク