シュト方言の下位方言と民族的差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:28 UTC 版)
「シュト方言」の記事における「シュト方言の下位方言と民族的差異」の解説
19世紀前半において、初期のスラヴ学の提唱者たちは、南スラヴ諸方言について考察し、各方言の話者の民族性との関連に関する複雑な論争に発展していった。これは、歴史的な視点からは、これらの「奇怪な」議論は、むしろ政治的・民族主義的な立場に基づいたものであり、それぞれが自身のイデオロギーを動機としていたと見られている。この論争で活躍したのは、チェコ人の言語学者ヨゼフ・ドブロフスキー(Josef Dobrovský)、スロヴァキア人のパヴェル・シャファーリク(Pavel Šafárik)、スロヴェニア人のイェルネイ・コピタル(Jernej Kopitar)およびフランツ・ミクロシッチ、セルビア人のヴーク・カラジッチ、クロアチア人のボゴスラヴ・シュレク(Bogoslav Šulek)、ヴァトロスラヴ・ヤギッチ(Vatroslav Jagić)などであった。 基本的には、「言語学的には」誰がクロアチア人、スロベニア人、あるいはセルビア人なのかという定義について、それぞれ自民族の領域や影響範囲を大きくすることを目的に議論は繰り返された。ロマンス主義や民族勃興の中から生まれたこれらの複雑怪奇な議論は、結局これらの民族の位置づけを定義することのみに留まった。これは主に、シュト方言の下位方言区分はそれぞれ民族をまたいで広がり、民族ごとに分離することができなかったことによる。他の方言と同様に、シュト方言も「多民族的な」方言であった。 しかしながら、これらのシュト方言の下位方言話者たちは、民族性の確立と固定化の過程を経て、シュト方言のうちいくつかの有力な方言の話者へと代わっていった。メディアによる言語標準化の運動は19世紀に起こり、多くの話者たちに影響を与えた。以下の分布の記述に関しては、前述のことに注意されたい。 古シュト方言は、現代の民族境界線に対して、次の位置づけにある。 コソボ=レサヴァ方言(エ方言): セルビア人が大半 ゼタ=南サンジャク方言(イェ方言): モンテネグロ人、ボシュニャク人、セルビア人 スラヴォニア方言(ヤトの現出方式は多様であり、イ方言が多いものの、イェ方言やエ方言もある): ほとんどがクロアチア人 東ボスニア方言(イェ方言): ほとんどがボシュニャク人とクロアチア人 一般に、新シュト方言は、現在の民族境界線に対して、次の位置づけにある。 シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言(エ方言): ほとんどがセルビア人 ダルマチア=ボスニア方言(イ方言): ほとんどがクロアチア人とボシュニャク人 東ヘルツェゴビナ方言(イェ方言): セルビア人、モンテネグロ人、クロアチア人、ボシュニャク人 区分下位方言セルビア語クロアチア語ボスニア語モンテネグロ語古シュト方言 コソボ=レサヴァ方言 ○ ゼタ=南サンジャク方言 ○ ○ ○ スラヴォニア方言 ○ 東ボスニア方言 ○ ○ 新シュト方言 シュマディヤ=ヴォイヴォディナ方言 ○ ダルマチア=ボスニア方言 ○ ○ 東ヘルツェゴビナ方言 ○ ○ ○ ○
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