シュト方言で書かれた初期の文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:28 UTC 版)
「シュト方言」の記事における「シュト方言で書かれた初期の文書」の解説
初期シュト方言、あるいはシュト方言へと変容した教会スラヴ語は、クリン大公(ban Kulin)の勅許などの公的な書類にも見られる。この勅許は、ボスニアとドゥブロヴニクの交易に関する取り決めであり、1189年のものである。また、グルシュコヴィッチ(Gršković)とミハイロヴィッチ(Mihanović)の未完原稿(1150年)などの、南ボスニアやヘルツェゴビナの宗教的な文書にもみられる。専門家の意見は2つに分かれており、これらの文書、とくにクリン大公の勅許について、現在にもみられるシュト方言の局所方言と見なしうるか否か、統一した見解は得られていない。主に、教会スラヴ語の影響を受けたシュト方言は、オスマン帝国以前の時代のボスニアやザフムリェ、セルビア、ゼタ公国、南ダルマチア特にドゥブロヴニクなどで、多くの法的、商業的文書に使われている。最初の広範なシュト方言の文書はバチカン・クロアチア語祈祷書(en)であり、1400年より10年ないし20年ほど前にドゥブロヴニクにて書かれたものである。その後2世紀にわたって、シュト方言の文書は主にドゥブロヴニクやその他のドゥブロヴニクの影響下にあったアドリア海沿岸地域や島嶼部、ならびにボスニアで書かれていた。
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