シャルル3世 (西フランク王)とは? わかりやすく解説

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シャルル3世 (西フランク王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 12:14 UTC 版)

シャルル3世
Charles III
西フランク国王
19世紀の想像画
ヴェルサイユフランス史博物館蔵
在位 893年 - 922年
戴冠式 893年1月28日 ランスサン=レミ聖堂
別号 単純王

出生 (879-09-17) 879年9月17日
死去 (929-10-07) 929年10月7日(50歳没)
西フランク王国ペロンヌ
埋葬 西フランク王国、ペロンヌ、サン=フルシー教会
反乱 ロベール1世
配偶者 フレデルナ・フォン・ヴェストファーレン
  エドギフ・オブ・ウェセックス
子女 ジゼル(フレデルナの女児)
ルイ4世(エドギフの男児) 他
家名 カロリング家
王朝 カロリング朝
父親 ルイ2世
母親 アデライード・ド・パリ
宗教 ローマ・カトリック
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シャルル3世の幽閉を描いた14世紀の装飾写本

シャルル3世フランス語: Charles III, 879年9月17日 - 929年10月7日)は、カロリング家西フランク王(在位:893年 - 922年)、ロタリンギア王(在位:911年 - 922年頃)。単純王(le Simple)[1]と呼ばれる。ドイツ語カール3世Karl III)。フランスに侵入してきたノルマン人と和解した。領邦諸侯に嫌われ、廃位され幽閉されて没した。

生涯

2代目の西フランク王ルイ2世吃音王の3男として父王の死後に生まれた。母は吃音王の2人目の妻、アデライード。吃音王はシャルルの誕生前に没して、2人の異母兄が共同で王位を継いでいたが、共に早逝し、885年に東フランク王国カール3世が西フランク王を兼務し[2]、シャルルはカール3世に後見された。

当時西フランク王国は、ノルマン人サラセン人マジャール人の侵入に苦しんでいた。887年にカール3世が失脚した次の王には、885年 - 886年のノルマン人の包囲からパリを護った英雄、ロベール家ウードが選ばれた[3]。聖俗諸侯が力を付け、王を世襲でなく選挙で決める時代になっていた。

ウードの治世下の893年1月28日、シャルルはランスサン=レミ聖堂で、カロリング派のランス大司教フルク(Foulques le Vénérable)により聖別され戴冠した[4]

両派が3年争って後、ウードはシャルルにセーヌ北部を渡し、シャルルを次の王に指名して、898年1月に没した[4]。19歳のシャルルは、漸く西フランク全体の王になった。

911年シャルルは、侵入するノルマン人の長ロロサン=クレール=シュール=エプト条約を結び、ノルマンディー地方を与えてロロをノルマンディー公に封じた[5]。ロロは洗礼を受け、シャルルの娘ジゼルを妻とした[6]

同じ911年、東フランク王国ではルートヴィヒ4世が没してカロリング家の世襲が絶えると、ロタリンギア(当時のロレーヌの呼び名)には親西フランクの派閥が形成され、シャルルはロタリンギア貴族の臣従を受け、ロタリンギア王となった[5]

しかし、ロタリンギアへの執着と部下の処遇の不公平などから、シャルルはロレーヌ公ジルベール(のちハインリヒ1世を支持)と不仲になり[7]、西フランク王国の諸侯にも嫌われた。そして922年に叛かれて廃位され、その反乱を指揮したロベール(ウードの弟)が王に選ばれ(ロベール1世)[7][8]、シャルルはロレーヌへ逃げた。

923年、シャルルはノルマンの兵を率いてロベール1世とソワソンで戦って討ち取ったものの、ロベールの息子ユーグ大公と娘婿のラウールに敗れ、ロベールの義弟ヴェルマンドワ伯エルベール2世シャトー=ティエリで囚われ、翌年ペロンヌ城の塔に移された[9]

ラウールが西フランク王になった。王妃エドギフはのちのルイ4世を連れ、イングランドの実家へ亡命した。ロタリンギアは925年、ハインリヒ1世がドイツに取り戻した[7]

シャルルは929年10月7日獄死し、ペロンヌ城に近いサン=フルシー教会(Collégiale Saint-Fursy de Péronne)に埋葬された。

子女

907年、西ザクセン(ヴェストファーレン)の伯ディートリヒの娘フレデルナ(917年没)と結婚した。フレデルナの姉妹マティルデは909年に東フランク王ハインリヒ1世の二度目の妃となった。

  • エルマントルド(908/16年 - ) - ロタリンギア宮中伯ゴットフリートと結婚。下ロタリンギア副公ゴットフリート1世の母。
  • フレデルナ
  • アデライード
  • ジゼル - ノルマンディー公ロロと結婚
  • ロトルード
  • ヒルデガルド

シャルルはフレデルナの没後の919年、イングランド王エドワード長兄王の娘エドギフ(エドウィジュ)と再婚した。エドギフはのちにヴェルマンドワ家のオモワ伯エルベール3世と再婚した。

  • ルイ4世(920年 - 954年) - のち西フランク王(936年 - 954年)

以下の庶子がいる。

  • アルヌルフ
  • ドロゴ
  • ロリコ(? - 976年) - ラン司教
  • アルパイス - ロムガウ伯エーレボルトと結婚

脚注

  1. ^ 「裏のない」という意味であり、愚かであるという意味はないという(Collins, p. 161)。
  2. ^ 柴田、p. 171
  3. ^ 柴田、p. 172
  4. ^ a b Collins, p. 161
  5. ^ a b 柴田、p. 175
  6. ^ 森、p. 17
  7. ^ a b c 瀬原、p. 67
  8. ^ Collins, p. 163
  9. ^ 柴田、p. 176

参考文献

  • 柴田三千雄樺山紘一 他 『世界歴史大系 フランス史1』 山川出版社、1995年
  • 森護 『英国王室史話』 大修館書店、1986年
  • 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
  • Paul Collins, The Birth of the West, PublicAffairs, 2013.
  • Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band II (Marburg, Germany: J. A. Stargardt, 1984), Tafel 1

外部リンク

  • Wind10(西洋史シリーズの一例)
先代
ウード
西フランク国王
898年 - 922年
次代
ロベール1世



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