シャルル4世 (アランソン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > シャルル4世 (アランソン公)の意味・解説 

シャルル4世 (アランソン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:21 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
シャルル4世・ダランソン
Charles IV d'Alençon
アランソン公
在位 1492年 - 1525年

出生 (1489-09-02) 1489年9月2日
フランス王国アランソン
死去 (1525-04-11) 1525年4月11日(35歳没)
フランス王国リヨン
配偶者 マルグリット・ダングレーム
家名 ヴァロワ=アランソン家
父親 アランソン公ルネ
母親 マルグリット・ド・ロレーヌ
テンプレートを表示

シャルル4世・ダランソン(Charles IV d'Alençon)またはシャルル4世・ド・ヴァロワ(Charles IV de Valois, 1489年9月2日 - 1525年4月11日)は、アランソン公(在位:1492年 - 1525年)。アランソン公ルネ福女マルグリット・ド・ロレーヌロレーヌ公ルネ2世の妹)の息子。

生涯

父の死により1492年に幼くしてアランソン公、ペルシュ伯、アルマニャック伯などを継承した。

1509年、アングレーム伯フランソワ、のちのフランスフランソワ1世の姉マルグリット・ダングレームと結婚した。2人の間に子供はなかった。

1525年、シャルル4世は義弟フランソワ1世に従ってイタリアへ出征したが、フランソワ1世はパヴィアの戦い神聖ローマ皇帝スペインカール5世の捕虜となった。シャルル4世は帰国したが、王を捕虜にされた責任を糾弾され、ほどなく死去した。

死後

シャルル4世の死後、妻マルグリットは夫の妹であるフランソワーズ・ダランソンを差し置いて、亡夫の称号の多くを継承した。

シャルル4世はヴァロワ家の分枝ヴァロワ=アランソン家の当主であり、フランソワ1世の家系ヴァロワ=アングレーム家に男子が絶えればサリカ法によりフランス王位を継承しうる立場にあった。しかしシャルル4世が嗣子を残さずに早世し、他に男子がなかったため、アランソン家が先に断絶した。代わって妹フランソワーズの嫁ぎ先であるブルボン=ヴァンドーム家が、ヴァロワ=アングレーム家に次ぐ王位継承権を有する家系となった。

のちに未亡人マルグリットが再婚してもうけた娘ジャンヌ・ダルブレとフランソワーズの息子ヴァンドーム公アントワーヌが結婚し、ブルボン朝初代の王となるアンリ4世が生まれている。

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

先代:
ルネ
アランソン公
1492年 - 1525年
次代:
マルグリット・ダングレーム
先代:
シャルル1世
アルマニャック伯
1497年 - 1525年
次代:
アンリ1世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シャルル4世 (アランソン公)」の関連用語

シャルル4世 (アランソン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シャルル4世 (アランソン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシャルル4世 (アランソン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS